ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

タイムリー

久しぶりの投稿です。

一度書かなくなると、なかなか書く熱量が上がってこなくなるのか、放置プレイというか、放置していることさえ忘れている。

といった具合のブログですが。

ここでは頑張らないと決めているので。

書きたいことだけを 書きたいときに これからも綴って行こうと思います。

 

さて。

先週の土曜日。所属の青少年団体で「なかよしプロジェクト」というのがあり、参加しました。

 

このプロジェクトは以前、次女が小学生時代にも参加したことがあるもので、聴覚支援学校での交流会、文化祭へ参加するというもので。

事情が出来てしばらく参加出来ずにいたものですが。今回参加したい子ども達が多かったので、来年の参加を見据えてひとまずの参観に行ってきました。

 

わが家の小4の三女も参加したい気持ちのある1人で。というのも今ちょうど学校の授業で障害のことを学んでいて。夏休みにも障害について考える。という宿題が出たこともあり。わが家としては障害について考える機会を持つということは、とてもタイムリーな話でした。

 

その宿題では、滅多に話さない障害のある妹の話をしました。妹は三女が生まれたきた時から既にわが家の家族で、いつも当たり前に居る存在で、それまで特に何か聞かれたこともなく、特別に何かを説明するということも、三女にはしてこなかったと思うので、この宿題は我々にとって良い機会だったと思います。

 

妹の小さい時の様子や母の苦労、養護学校のことや作業所でのことなど、一通りさらっと話しました。私の話をじっと聞いて、メモを取ったりしながら、三女が思いがけない言葉を発します。

 

「それならお母さん、子どもの時、めっちゃ大変やったんじゃないん」

 

私の大変さまでは、宿題にとても書き切れないと思ったので、端折って簡素に話をしているつもりでいました。でもその話から、身近なことと感じて、何ならその時の私の気持ちや立ち位置まで想像して、労いの言葉を発している。この子はそんな優しい子に育っている。そう感じて、嬉しいやらありがたいやら。

 

そんなことがあり、実家にある身障者用の昇降機のことなども学び、それを絵にしたりして、クラスメイトとシェアをしたりと、様々な角度から学習を広げていた時にちょうどこのプロジェクトの話で。

 

文化祭に参観に行かせていただいて、聞こえないということがどういうことか、少なからず目の当たりにして、何かを感じ、学びを深めたことかと思います。

 

そして週明けの月曜日。

なんと、文化祭に行った学校の先生が、三女の小学校にお話をしに来てくださったと言うのです。

えー❣️そんな偶然ある⁉️

じゃあじゃあ、その先生に、文化祭に行ってきましたって、お話したの❓と興奮気味の私に頭を振る三女。

 

普段から三女はあまり自分から進んで前に出たがらない特性があるので、またその面が顔を出したのかな、と思ったのですが、よくよく聞くと、先生自身が、あまり聞こえないので、コミュニケーションをとるためには、手話を使った話をしなければならないこと。自分にはそれを説明出来るだけの手話のスキルがないので、お伝えするのをあきらめた ようでした。

 

一連のことを通して、きっと、三女の中で、今はまだ言葉にするのも難しいような、それでいてとても大切なことを学んだのではないかと思います。

 

ご縁に感謝いたします。