0か100か
タイトルを書いてみて
20年ほど前にも同じようなことを書いたことをふと思い出しました。
その時は白と黒というようなタイトルだったように思います。
それはもう今はなきインターネット空間に飲まれて行った文章で 掘り起こしてくるのは難しいですが、きっと私の中ではその頃と変わらない絶対的(諸法無我)な部分がありつつ、その後 進化変容した部分も少なからずあるのではないかと思うので、読み返してみたいものだと思います。
昨日、そこそこ長いお時間をいただいて 公私に渡って大切な方とお話をさせていただきました。
その方が言わんとしていることは、部分的に、話者の自分事と重なっていたので、受け止め方としては難しい部分がありましたが、自分とは違う視野からのお話を聞かせていただき、私がいま抱えている問題と照らし合わせ、知恵を絞るヒントをいただくことが出来ました。
物事は0か100か しかないわけじゃなくて
100%のうち、何割かでも関わりがあるなら、その関わり度合いが例え10%としても、それは関わりのあることで、0%にはなりません。
そこの所を理解せずに、感情論でぶつかると、0か100かというような話になりがちですが
それは物事の成り立ちや現実、実情を見極めていない愚か者のすることであり
慎重な賢者であれば(慎重なことが必ずしも賢者という話でもありません。迂闊なものはまず間違いなく愚か者であるとは言えると思います)そんなニ極的な物の見方はまずすることがないし、それにより二極的なことは口から出てくるはずがありません。
事実認識がきちんと出来ていれば、他者を追い出すような0か100かの論に発展することはないのです。
物事を円滑に進めて行くには、まず事実の共通認識が大切です。
何処に取り違えがあるか、わかれば次のステップに進むことができるようになります。
まずは正しい現状認識。
どうしたいかは、それから先の話です。
自分目線でしか物事を捉えられなければ、まず事実の判断を見誤ります。
それが失敗の源泉になります。
独りよがりの、誰かのためだけの認識では、自分のことさえ守ることもできなくなり、苦しくなるのです。
他者と物事を共有していくには、他者目線に立ち、他者目線からの共通認識を持つことからしか問題を解決に導くことは出来ません。
問題の中には何がどれくらい含まれているか。まずその客観的事実を積み上げましょう。