ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

共感を得るということの強み

日々の家事をこなしていると、様々なことが走馬灯のように浮かんでは消えて。家事に集中してるんだか、していないんだか。それでも手元の仕事が終わる頃には考えていたあれやこれやも自然消滅して、何を考えていたんだかも思い出せなくなる。そんなことってよくあると思うのですが、今日はその中でも珍しくふと思考が整ったので、暇じゃないけど、忘れないうちに(笑)アウトプットしておきたいと思います。

 

子どもに身につけさせたい能力の一つに家事があります。もし自分(親)が今日や明日に突然死ぬようなことがあっても、最低限の生活力があれば、憂いが少ないです。

 

長女の時は、家事を身につけさせたいということばかりに主眼が行っていたため、実質的に中身はひどいものでした。例えば洗濯一つとっても、とにかく「こうすれば良いから」とだけ伝えて、言ったように出来ていなければ、「何でこんな簡単なこと一つも出来ないの」という想いが態度に出てしまって。それに反発されようものなら、今度は想いを言葉にしてしまったり。もうそれは悪循環としか言いようのない状況です。イラっとして、イラッとさせて。そんな状況だったと思います。

 

違う違う。そうじゃない。望んでいるのはこういうことじゃないんだ。わかっていても、その時の若くて青い自分の視野ではどうすることも出来ずにいました。それは自分の考えややり方の押しつけでしかなかったんですよね。うまくいくはずがありません。そんな中でも回数をこなしたことで、いつしか長女は独自の方法で出来るようになって行ったんだと思います。

 

三女の場合。長女の時の例があるので、もはや積極的に家事を身につけさせたいと思わなくなっている自分がいました。押しつけが反発を呼び、反発することがデフォになってしまうと何を言っても耳に届かなくなるからです。本人がやりたい時が身につける時。自然とそう思うようになっていました。

 

コロナ禍のSTAYHOMEの間に、その時はやってきました。何か家事を手伝ってみようという所まではこちらから促しましたが「じゃあ洗濯物を干してみるわ」ということになりました。

 

最初は一緒に干しながら基本的に彼女のペースでやりたいように事を進め。こういう時は、もうちょっと、こうした方が、ホラ、いい感じじゃない?などとやりながら。押しつけるわけではなく、一緒に作業をこなしながら、お母さんは、こういう時、こうしているんだよ~と伝えます。この時点で彼女はまだ何故そうするのか、腑に落ちていなかったりします。なので、ここで魔法のエッセンス少々。こうすると、ホラ、あっち側から見た時に、下着なんかが見えないでしょ?

 

小学生なりに 家事の哲学ほんまや~✨となる瞬間です。そうか、そこまで考えてやっているのか、という所を伝えられれば、反発することなくこちらの考えを取り入れてくれるようにもなるし、それはそれとして別の方法に挑戦することになったとしても、彼女の糧の一つにはなっているはずなので、こちらとしても後味が悪いということがなく、家事と育児を遂行できます。

 

そのためには、魔法のエッセンスを振りかけることが出来るだけの自らの日頃の鍛錬がモノを言う鍵になります。作業に対しての知恵の積み重ねとそれをアウトプットする手間を惜しまないこと。簡単なことではないですが。無駄にイラッとする時間を過ごすよりは有益な時間に変えられると、失敗談は語ります(笑)