ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

続 コロナウィルス罹患?

昨日は結局まだ朝のうちにかかりつけの病院に電話をして受診させていただきました。

 

花粉症があるので今専らお世話になっているのは耳鼻科だし、症状としても熱と鼻詰まりと喉の痛みだけだったので、迷わずに耳鼻科に電話をしたのですが、セキが出ているなら内科に行って下さいとやんわりお断りか?ということを言われて、早くも挫けそうになりながら、いえ、セキはないんです。喉の痛みと鼻詰まりだけなんです。と訴えました。

 

折り返し電話しますということで、(2つ返事はしてもらえないのね。。。)と少しやり切れなさを感じていたのですが、おセンチになるほどの時間はかからずに、折り返しがいただけて、来てもらっても大丈夫です。とのことにホっとしました。

 

喉は痛みが強かったものの、大して赤くもなくて、酷い状態ではないということでした。

お薬を塗布していただいて、抗生剤と痛み止めと鼻詰まりといつもの花粉症の薬を処方されました。

 

お薬を飲んだというのに熱は下がらず、反対に上がるばかりで、最高で37.8度まで行きましたが、今朝起きた時には喉の痛みは消えていました。抗生剤が効いたのだとしたら、既存のウィルスにやられたのかな。と感じています。検査してもらいませんでしたが、こうなると疑わしいのは溶連菌あたりかなと思っています。

 

今朝は36.9度 → 37.1度 → 37.5度 ←今ここ なので、引き続き油断は出来ない状況ですが、また悪化して追記することがなければ良いのですが…経過観察といたします。

コロナウィルス罹患?

実は熱がある。

一昨日から。

 

コロナウィルスのことがあって、高校生の娘が学校から毎日の検温と記録を言い渡されるようになり、私や末娘も朝晩の検温をするようになった。

 

一昨日の夜には37.4度の何とも微妙な微熱。

昨日の朝には元気で、張り切って1時間ほどの有酸素運動をしたりも出来ていた。

夕方には少ししんどくなってきたのを感じて、測ってみたら、また37.4度だった。

 

そして今朝1番は37.0度。

念のため保健所に電話を入れた。

ここ3日間で熱が37.0〜37.4を行ったり来たりしていること。他にこれと言ったコロナウィルスらしき症状はないことを話した。

 

その他には既往症の確認があり、花粉症でつい先日までしんどかったことを話した。

 

今の現状では検査を受けてもらう段階にはないとのこと。

もう少し様子を見て、他の症状が出てくるようならまた電話をくださいとのことだった。

 

予想はしていたことで、すぐにPCR検査を受けられるとは思ってなかったけれど、家族がコロナにかかったのではないかと心配していること、それに対してどのように対応するのが良いのかということを相談した。

 

とりあえずは、かかりつけ医の受診を勧められた。他の病気かもしれないし、病院で他の病気と言われると安心するのではないかと。

その際にも病院へ行く前には電話を入れ、保健所には連絡済みのことを伝えてから受診するように促された。

 

いつも行く病院では先生の方針で風邪と診断されたことはなく、きっと経過観察と対処療法になるだけだろうと予測がつくので、行ったところで家族の安心材料にはならないだろうと思うのだけれど。それでも家族の意見を聞くと、病院へ行ってほしいとのことなので、夕方になってもこのまま熱が下がらないようなら一度受診をしてみようと思っている。

現在は37.3度だ。

弱さと強さと

新型コロナウィルスの脅威は4月に入りなお収まるどころか加速をしている現状。

昨日は大阪府から5月の連休明けまでの学校休校の発表がありました。

 

私自身こういうときは案外強さが前に出てきます。

人間いつ何処でどうなるかわからないという気持ちが常にあるからだと思います。

多少のことでは動じません。

命があれば何でもできる。

 

でもこの気持ちも日々のバイオリズムで変化するもの。

コロナウィルスには命の危機をもダイレクトに脅かされます。

決して楽観視は出来ません。

 

こんな感じで所々でめちゃくちゃ強い私がいるわけですが

所々でめちゃくちゃ弱い私もいます。

何でそんな所で気に病むかなあ、というような所でウジウジする。

 

そういうバランスの悪さを持ってるとも言えるのでしょうけれど

そうやってバランスを取ってるとも言えると思います。

強く張ったり上がったりした気は何処かで下がったり和らいだり。そういうことを、人間というのはDNAレベルで無意識に自動調整しているわけです。

 

そこを下げたり和らげたりすることなく上げ続けたり張り続けたりすることで、時には進化したり超人化したりもするわけですが。

そんな時は振り返ると周りに誰もいないでしょう。

そうすると、誰かに伝えたいことがあったとしても、伝わらないわけです。

その時もはや人ではないので、人に理解できる言葉を発せられなくなるわけですから。

 

なので、この弱さの部分に帰ってくるウジウジの一連の波は、他の人と共存共生するために、とっても大事な部分なわけです。

そういうネガティブな部分も含めて全てが大事な自分なんです。

 

こんな自己肯定をして、基礎的な強さレベルがまた少し上がってしまったですね(笑)

強くなればなるほど揺り戻しもしんどいので、極力振り幅の少ない範囲で日常生活を送りたいものです。

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花粉症

花粉が飛散すると毎年悲惨な状態になる私の身体。

間違いなく花粉に苦しめられている人間の1人です。

アレルギーの測定値としては、通常0.1未満のところ、スギが32.0でヒノキが12.6という結構しんどい数値です。

 

私の場合、いつも12月の終わり頃に鼻のムズムズが来始めます。

この時には花粉ではなくて、大掃除によりアレルゲンの一つであるハウスダストに反応をしているのだと思います。

クシャミ・鼻水スイッチが作動することで、セキや痰などもセットでもたらされるので、毎年なかなかの体調不良の状態でお正月を迎えることになります。

 

今年も順調に病みながら1月が到来。この頃まだスギ花粉の飛散情報はありませんが、毎年ながら私の身体は反応を示しています。

これが何に対する反応なのかは、今のところまだ定かではありません。

 

①年末に患ったものが、お正月のバタバタで長引いているものなのか。

②1月から飛散しているらしいハンノキ花粉への反応なのか。

③正確な情報が出ていない(飛散量が少ない)だけで、スギ花粉が飛び始めているのか。

④上記以外

 

大まかにこれら4つの仮説を立てていましたが、②は昨年検査していただいた結果、陰性でしたので、消去。

残りの①と③の可能性は今の所どちらも否定出来ない状況です。

 

こんな感じで優れないままに2月がやってきます。花粉シーズンの到来です。早め早めに対策をしておけば良いのでしょうけど、毎年ピークが微妙に違う上に喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうもので。

好調ではないものの、絶不調ということもなく、日々動けないほどのことはない。こういう時は自分という者に構ってなんていられません。

1月は行く。2月は逃げる。と言われているように、日々に追われて日常をこなすのに精一杯で。気が付けばいつの間にか悪化の一途を辿っている、学習しない(できない?)私です。

 

最終的には耳鼻科にかけこんで、お薬を処方していただくというルーティンで毎年どうにか凌いでいます。ここでお薬手帳を元に、軽く過去3年間を振り返ってみたいと思います。

 

平成30年間は、3月13日に受診しています。

令和元年は検査のため1月19日に受診。

令和2年は2月17日に受診しています。

 

うーん。。。

まだこれだけのデータでは傾向と対策が打ち出せそうにありません💦

今後も引き続き対処療法で経過観察したいと思います。

 

何よりも今年はコロナウィルス騒ぎで花粉症の話なんて鳴りを潜めているような気配を感じていますが、花粉症はコロナウィルスを重篤化させるという既往症、基礎疾患に入るのか入らないのか。気になっている方は多いんじゃないでしょうか。今後取り上げていただきたいことの一つです。

 

願わくば、わが国のスギとヒノキを70%ほど削減し、落葉広葉樹にならんことを。

対策として進めていただける日が来ることを、願っています。

タイムリー

久しぶりの投稿です。

一度書かなくなると、なかなか書く熱量が上がってこなくなるのか、放置プレイというか、放置していることさえ忘れている。

といった具合のブログですが。

ここでは頑張らないと決めているので。

書きたいことだけを 書きたいときに これからも綴って行こうと思います。

 

さて。

先週の土曜日。所属の青少年団体で「なかよしプロジェクト」というのがあり、参加しました。

 

このプロジェクトは以前、次女が小学生時代にも参加したことがあるもので、聴覚支援学校での交流会、文化祭へ参加するというもので。

事情が出来てしばらく参加出来ずにいたものですが。今回参加したい子ども達が多かったので、来年の参加を見据えてひとまずの参観に行ってきました。

 

わが家の小4の三女も参加したい気持ちのある1人で。というのも今ちょうど学校の授業で障害のことを学んでいて。夏休みにも障害について考える。という宿題が出たこともあり。わが家としては障害について考える機会を持つということは、とてもタイムリーな話でした。

 

その宿題では、滅多に話さない障害のある妹の話をしました。妹は三女が生まれたきた時から既にわが家の家族で、いつも当たり前に居る存在で、それまで特に何か聞かれたこともなく、特別に何かを説明するということも、三女にはしてこなかったと思うので、この宿題は我々にとって良い機会だったと思います。

 

妹の小さい時の様子や母の苦労、養護学校のことや作業所でのことなど、一通りさらっと話しました。私の話をじっと聞いて、メモを取ったりしながら、三女が思いがけない言葉を発します。

 

「それならお母さん、子どもの時、めっちゃ大変やったんじゃないん」

 

私の大変さまでは、宿題にとても書き切れないと思ったので、端折って簡素に話をしているつもりでいました。でもその話から、身近なことと感じて、何ならその時の私の気持ちや立ち位置まで想像して、労いの言葉を発している。この子はそんな優しい子に育っている。そう感じて、嬉しいやらありがたいやら。

 

そんなことがあり、実家にある身障者用の昇降機のことなども学び、それを絵にしたりして、クラスメイトとシェアをしたりと、様々な角度から学習を広げていた時にちょうどこのプロジェクトの話で。

 

文化祭に参観に行かせていただいて、聞こえないということがどういうことか、少なからず目の当たりにして、何かを感じ、学びを深めたことかと思います。

 

そして週明けの月曜日。

なんと、文化祭に行った学校の先生が、三女の小学校にお話をしに来てくださったと言うのです。

えー❣️そんな偶然ある⁉️

じゃあじゃあ、その先生に、文化祭に行ってきましたって、お話したの❓と興奮気味の私に頭を振る三女。

 

普段から三女はあまり自分から進んで前に出たがらない特性があるので、またその面が顔を出したのかな、と思ったのですが、よくよく聞くと、先生自身が、あまり聞こえないので、コミュニケーションをとるためには、手話を使った話をしなければならないこと。自分にはそれを説明出来るだけの手話のスキルがないので、お伝えするのをあきらめた ようでした。

 

一連のことを通して、きっと、三女の中で、今はまだ言葉にするのも難しいような、それでいてとても大切なことを学んだのではないかと思います。

 

ご縁に感謝いたします。

心の余裕

前回の更新は実に3カ月も前のことだったようです。

あっという間の3カ月。

渦中は振り返る間もないくらい、なかなか大変だったんだと思うのですけど、色んなことが落ち着いて、振り返ってみるとバタバタが嘘のようです。

バタバタしてる間って、実は時間に余裕がないんじゃなくて、心に余裕がないんですよね。

というか、時間の余裕のなさは、心の余裕のなさにつながるし、心の余裕のなさが、時間をも食い潰してしまうんだな ということを 如実に感じる3カ月でありました。

 

この大事なことを、わかっていても、なかなか余裕の確保が出来ないのが我々の年代なのかな と思います。

子どものこと。学校のことにしても、高校と小学校など複数だったり。

地域のこと。町会役員(基本的に夫が担当)と子ども会役員(私の担当)のことだったり。(これには少子化の影響や町会の加入率の低さだったりも影響してます)

ライフスタイルとして関わっているいくつかの活動のこと。

仕事のこと(3度目の入札抽選も外れだったー 笑笑)

 

それらをこなすだけで精一杯なはずなのに、自分のしたいこともしたいんだから、それはそれは大変なわけで(苦笑)

したいことはしないで、少しは余裕をとっておけばいいのに、よせばいいのに、決まって自分で自分の首をしめ続けることになる4〜6月です。ちーん(笑)

 

この時期が、しんどいのは、自分が自分で蒔いている種(宿業)以外の何者でもないのですが、こうなってから、いつも、もっとシンプルな生き方をしなくては…と思い知る(思い出す)のですから、自分という人間は、本当に学習能力の低い、バカだなあと思うわけです。そしてバカなんだから仕方ないと開き直るものだから、進歩もしないわけです。

 

そのうち、子どもが大きくなったら、また変わるさ〜なんて思いながら。

でもその時には自分もやはり結構な年を重ねていることになるので、健康でいられているかどうかも怪しいわけです。

ということで、やはり、身体が自由に動くうちに、したいことをしておかねばならないと思うわけです。そして振り出しに戻る…ちーん(本日2回目)

 

こんな無限ループ(輪廻)のど真ん中でした。

こうして俯瞰して心を均していく時間が実はとてもありがたいとても大切な時間。

この時間こそが 心に余裕あり の「瞬間」なんですね。一瞬の。まぼろし〜(涅槃)

NZから帰国

今年の1月6日に留学に行った次女が一回り大きくなって (体重がね😂) 帰ってきました🇳🇿🇳🇿🇳🇿

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思い返せば中3の11月も末に差し掛かろうかという時。

突然ノーマークだった私立の高校に行きたいと言い出して。

慌てて最後に1回だけ残っていた学校見学に飛びこみ。

あっという間に願書提出、受験、入学と、とんとん拍子で進み。

わざわざ国際科に入学したからには、留学にも行ってもらいたいという親の願望も踏まえ。

振り返る余裕もなく ここまで来ました。

 

留学に行くとなると、3学期は丸々学校に行けないことになるので、自力でカバー出来るだけの成績を、1学期と2学期に納めることができた優秀者のみ、参加を認めるというハードルの高い条件に、何度も打ちのめされたりしながらも、最終的になんとか、行かせていただけることになり、学校の采配と温情に感謝しています。

 

とまあ、このような不安な材料があり、その材料が特に英語についてのことだったため、無理だと判断した場合には途中帰国もあり得るという学校側の冷静で当然至極の言葉に冷や汗もかきながら。1年間に延長を希望することこそなかったものの、無事に3カ月の留学期間を満了して帰ってくることが出来て本当に良かったと、安心しているところです。

間には銃乱射事件などもあり、どうなることかと肝を冷やしたりもしました。

 

娘は中学校時代、他の科目と比べて、英語は少しだけ、出来る方でした。

それが、国際科に入ってしまったため、求められるレベルが上がってしまい、少しくらい出来るくらいでは、かなりしんどくなってしまっていたのでした。

親としては、自信をつけてもらいたい、得意を伸ばしてもらいたい、そんな気持ちで🆗した受験であり入学でしたが、こんな形で裏目に出ることになるなんて、その時には思ってもみないことでした。

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留学に行かせてもらったからと言って、たった3カ月では、話せるようにはなっていませんし、目を見張るほどの成長や変化があったわけではありませんが、聞き取ることは出来るようになったというので、少なからず、進化を遂げているようです。

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今回の留学で得た学びと経験を元に、今後の進化が  あるのかないのか わかりませんが、3カ月分の話を少しずつ聞きながら、引き続き見守っていきたいと思います。

 

まずはホストファミリーへの御礼を考えます。楽しい時間です❤️むふふ

 

#ありがとうございました #感謝 #ホストファミリー #NZ #ニュージーランド