ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

マレーシア旅行記

 今年の夏は初めてのマレーシアに行ってきました🇲🇾

 何故マレーシアだったのか。話せばそれなりに長くなりますが、今まだ抱えている初恋のような甘酸っぱい気持ちを完全に忘れてしまわないうちに、書き残しておこうと思います。

 

 ことの始まりは4年前。所属の青少年団体のアジア太平洋地域会議が日本で開催されました。その時にご縁があり、我が家にステイに来たのがマレーシア代表のSとコミッショナーのNでした🏠そこから私たちの友情が始まりました。

 

 友情の2文字にサラッとまとめるのは簡単なことですが、実際のところ、そんなに容易なことではなかったわけです。そこに辿り着くために、まず夫の説得が必要でした。過去に長女が逆にアメリカでお世話になったこと、次は我々が恩返しをする番だということ。夫は基本的に家に人がいることを好まないタイプで、それを明言することさえ憚らない性格なこともあり、二つ返事とは行かず、最初は難色を示していましたが、熱のこもった説得に根負けをしたのか、ついには首を縦に振ってくれました。

 

 第一の砦を超えたと思ったら、一難去ってまた一難? 実は第一希望にはスリランカからの受け入れを希望していました。同じ仏教徒ということで、通じるところがあるだろうと思ったからです。参加国の中で一番不安を感じないというのが本音でした。第2希望はオーストラリアでした。ところが、決定通知がきたのは、マレーシア。宗教は、イスラム教ということでした。

 

 イスラム教徒である彼女達のことを実際に受け入れるまでには、少なからずの心の葛藤があったことは否めない事実でした。ISと何がどう違うの? ハラルって何?ハラムって? 食事はどうするの??

 

 こうすればいいよ、という明確な答えはないまま、どんどんXデーは近づいてきました。ましてや、英語力も乏しいのです。日が近づくにつれて、楽しみというよりは、不安がどんどん大きくなり、押しつぶされそうになりました。

 

 そのピークを超えてしまうと、もはやスイッチがオフになったのか、元来の楽天的な性格が幸いしたのか、開き直りの私がいました。考えても答えのないものは、仕方がない。きっと、何をしても何処の国であっても100点満点になるなんてことはない。せっかくいただいたご縁なのだから、自分に出来ることを、精いっぱいしよう。それ以外のことはできない。できないことはできない。それは仕方がないのだから。無理はしないでいい。出来ることをすればいい。そんなことを自分に言い聞かせながら、自分に出来得ることを準備して、彼女達の訪問を待ちました。

 

 新大阪までお迎えに行き、彼女達と初対面。良い人たちだ。直観でホッとしました。安心したのも束の間のこと、すぐさま私の前に立ちはだかったのは言葉の壁でした。

 

 戸惑いましたが、何を言っているか、わからないものはわからない。向こうもきっとその状態を悟ったのでしょう。それ以上言葉を選ばずに話しかけてくることはなくなりました。このままは良くないよな、と、ヒシヒシと感じながら。それ以外にはどうすることも出来ない我々の間を空虚な風が流れていました。不幸中の幸いだったのが、2人で来てくれていたことでした。私とのコミュニケーションが円滑に行かなくても、2人で話せるという孤独を回避してもらえる状況を、とてもありがたく感じられました。

 

 そんなこんなで始まった我々の生活。3日間の短い時間でしたが、少しずつ、身振りや手振り、カタコトの単語をつなぎながら、何とかコミュニケーションも取れるようになってきました。色んな場所を案内したり、一つずつできる範囲で説明したり。食べられるものとそうでないもの、食べたいものを聞いたり。そうこうしている間に、少しずつですが、最初は四万十川くらいの幅に感じられていた心の溝が埋まってきて、帰る頃には、ずいぶんと距離が縮まっていることが感じられました。

 

 それをきっかけに英会話サークルに通い始めるようになり。2年後にはマレーシア代表のSが今度は旦那さんと一緒にまた我が家に来てくれました🏠 友情がそういう形で続いていくことは、とても嬉しく喜ばしいことでした。

 

 何教徒であろうが、それは本来の人間性とは直接的には関係のないことで。結局のところ何を信仰していようがいまいが、ダメなことはダメだし、嬉しいことは嬉しいわけで。そんな基本的な部分が共有できるのであれば、距離を縮めて付き合うことが出来るし、逆に同じ人種だろうが宗教だろうが、基本的な部分が共有できない相手ならばしんどいし、距離が生じるのだということ。そんな当たり前のことであっても普段は忘れてしまっているようなことを改めて感じる機会でした。

 

 そんなこんなで今回はついに我々がマレーシアへ行くことになりました。

いつか行きたいなあと思いながら、思っていたよりも早く実現できたことは、一連の関わりを通して夫の理解と協力を得られたということが大きくありました。それほどにS達が魅力的で学ぶことが多くあることを夫も感じていたようです。

一緒に楽しんでくれて、ありがとう。 感謝しています。

 

 ではいよいよ本題へ入っていきたいと思います。

マレーシア1日目。

 

 朝、関空からの出発✈️

 今回の旅はこの時点から既にしくじる私。手荷物検査にて、お土産に用意していた手荷物2つから、化粧水や美容液の液体系を一通りはじき出される。今から考えると当たり前。何か感覚がおかしくなっていたのだろうか。ダメなものはダメ。でもバゲージとしてなら、大丈夫かも?ということで、再度バゲージとして預けに走る。何とか受け付けてもらえたけど、「搭乗が始まっているので、急いでください」とグランドスタッフにアドバイスされ、慌てる。空港にはかなり早く着いて、余裕を持って搭乗するはずだったのだけど。ぎりぎりの滑り込み。やれやれ。

 

 冷や汗をかきながらも夕方にはクアラルンプール国際空港に到着。空港はやはり入国審査が厳しく、指紋認証の機械も設置されていました。ゲートをくぐるとSとNが迎えに来てくれていました。ありがたや。初めての土地を踏みながらも、安心して一歩を踏み出すことができました。

 

 1日目と2日目はSの家に泊めさせてもらうことになっていました。

空港からSの家をつなぐハイウェイの途中にある、道の駅(みたいな所)でマレーシアの伝統料理の「サテ―」をいただきました。

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焼き鳥みたいな串料理で、牛、チキン、魚の3種類をいただきました。味付けは全て同じ、黄色系のスパイスの効いたお味で、ナッツのソースをかけていただきました。私の口にはあったので、けっこうたくさん食べました。夫も子どもも美味しいと言って、それなりに食べていたので、安心しました。

 

 Sの部屋に着いて、シャワールームとトイレの完備されたお部屋に通してもらい、明日の予定を聞いて、お土産を渡しながら、化粧水類がないということに気付きました。空港でバゲージを引き上げるときに、後から追加した分をすっかり忘れていたのでした。やっぱり私。きっちりまたやってしまっている。

 事情を説明して謝ると、Sはすぐさま空港に連絡を入れてくれました。そして明日引き取りに行く段取りもつけてくれました。大丈夫、明日は空港の方向に行こうと思っていたから、ちょうどいいの と言ってもくれました。言葉の通じない環境下でとても頼もしく感じた彼女の素早い対応でした。

 

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