断捨離 ~気の流れが変わるとき~
9月1日。新学期が始まるこの日。
元気に学校へ向かう子どもを見送り、玄関に戻ると目についた靴たち。
元の場所におかえりと靴箱を開けると、目に飛び込んで来たのはもう履かないだろう長女の靴たち。
長女が寮に入る前に、本人に仕分けと処分をお願いしたものの、「また帰って来た時に履くから置いといて」と言うので、今後の展開がまだ見えていない状況だったため、そうすることにしたままでした。
あれから1年半の間、自覚のない長女ロスは時折顔を出し、ふとした瞬間に込み上げてきたりしました。
彼女との日々のバトルが私のエネルギーを湧き起こしてくれていたことに、離れて始めて気が付きました。
下の2人は、上手にサラっとスルーするので、私はもはや小言を言うこともほとんどなくなり、日々は穏やかに過ぎてきました。
そうして一気に老けこんだという(笑)
長女の靴を見ながら、また履くというほどには帰って来れない現実を突きつけられました。
また、帰ってきたときにはいつも履いてきた靴を履くので、家の靴を履く様子も見られません。
片付けよう。心に決めました。
そう決意した日、仲良くさせていただいている先輩もたまたま靴の片付けをされたことを知りました。
背中を押されるかのように、すぐに片付けに手をつけました。子ども用の靴箱から全てを一度出し、長女のものは2つだけ残し、ひとまとめに段ボールに詰めて屋根裏組に。
そうして仕分けをしてみると、長女の靴は一つ一つが幅をとっているので沢山あるように感じていただけで、数では意外と多くなく、靴箱を覆っていたのは、三女も履けなくなった靴がほとんどだと判明しました。
これらは、昨年にも一度分別をし、美品に関してはバザーに出したりもしたのですが、それでも売れなかったものがほとんどでした。
美品でないものに関しては、もらってもらうのも気がひけます。それでもいつか何処かで役に立つかも、なんて考えると捨てられなかったのですが、それももういい加減に処分しよう・・・20Lの袋×2つが満タンになりました。
今朝、その袋ともお別れしました。
きっとこの行動は、夏休みで思うように動けなかったことへの、無意識的な、自由への解放運動の序章に違いないです(笑)