ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

自由と切替力と集中力

7月に入りました。

3〜6月の4カ月間を振り返って。

沢山のことがありました。

 

・青少年活動の発表会(台本作成や練習、本番)

・青少年活動の春キャンプ(会計や活動の1年間の総括作業)

・PTAの新体制への移行や引継ぎ(役員選出、新旧役員会、新旧運営委員会、総会など)

・青少年活動の新体制への移行(総会や式典、会議など)

・防災活動の新体制への移行(懇親会や勉強会)

・PTA活動での見守り活動(3〜5月の3カ月間)

・青少年活動での70周年記念式典(事前練習への参加や広報部員としての写真撮影、記念誌の作成など)

・青少年活動での訓練キャンプ(しおりの作成やプログラムの考案、実施など)

・青少年活動での市の後援の防災行事(会議と対外対応)

・PTAによる学校祭の開催(全4回の会議と反省会)

・自然団体による学校での授業開催(会議や学校との交渉、リハーサルや下見など)

 

忘れてしまっているだけで 他にもあるだろうと思います。

これらにプラスして、自分の子どもの進級なども当然にあって、勉強道具の整理や買い足し、書類の提出、参観や家庭訪問などもあり。

また、仕事の決算もあったので、相当に大変な想いをしました(笑)

 

あちらこちらに首を突っ込んでいるので、いつも みんなに 本当に仕事してるのか(してるわけないよね〜)と思われているようだけど、残念ながら仕事もしています。ただ、自分のペースで出来る仕事しかしていないので、何とかなっているだけで。

 

会社の決算に関わる経理の仕事はうちの会社で私しかする者がいません。そんなに大きな会社でもないので、今のところ仕事自体がそんなに大変ということもなく。人を雇うほどの仕事量でもない。だから自分でしなくてはいけない。それだけの話で。税理士の先生に、後はよろしくお願いしますと渡した所で一年間の一区切り。ちょうど一区切りついた所で振り返る余裕が出てきました(笑)

 

要するに、私は基本的には「時間の自由がとりやすい人間」なんです。

だから色んなことができています。

家の中では基本的な自由度が高いということに経営者の夫に感謝する立場です。

 

そんな理由で、私の所に色んな仕事が回ってくるし、自分からも進んで首を突っ込んでいける。決して能力があるからとか、すごい人間だから というわけではなくて。そういうことではなくて、ただ単純に「ゆとりがあるから」出来ているばかりだったりするだけで。

 

それでも、基本的に自由度の高い人間の筈が、こんなに色んなことをしていると、それらのことにより自由とは無縁の生活をすることになります。今や雁字搦めで。苦しいのです。こういうのを自業自得というのです(笑)

 

だけども、そもそも「絶対にしなくてはいけないこと」ということは、今の所は会社の仕事と子育てと家事くらいで、後のことは期間限定だったり、ライフワークだったり。やめようと思えばいつでもやめられることで義務ではないわけで。だから、まあまあ気楽でいられます。こんなに動けば身体がしんどい時はあるけれど。

 

それで何が言いたいかっていうと、

どんなにハードワークでも、気楽で心にゆとりがあるのは、精神的な自由を得ているからだということ。

 

そして、たぶん、それだけでもない。

沢山のことをこなしているのは切替力と集中力。

これが若干関係しているのだろうと思われます。

 

私という人間は、その昔、歩く瞑想により無我の境地を体得しました。

自分が何故小学生の時にそんな遊び(歩く瞑想)を始めたのかは まだ解明出来ていないけど、そこから人間の無我性について気付きを得ることができました。

 

自分を苦しめるのは自分であり、他の誰でもないということ。一見苦しいかのような出来事でも自分さえそれを意識しなければそこに苦しみは存在しない。苦しむ自分を見い出してしまうから苦しいのであって、本来そこには何もない。そしてまた自分を苦しみの泥沼(身口意)に陥れている鎖(業)から救い出せるのも自分の(整った)身口意でしかないわけで。そうなればこそ、そう出来るからこその1人1人が天上天下唯我独尊の私なのです。これこそが自由なのです。

 

このように瞑想により刷り込まれてくる観の目と合わせて、そのことに集中する力も同時に培われてきます。「即」というやつ。色即是空、空即是色の即です。

 

心と身体を絶えず観察していると、非常にコロコロと変わり移っていくことがわかります。そしてそれらを一々感情には入れず、ただただ追いかけていく。そういう修行(瞑想)です。

 

これらのことにより、一々刻々と変わっていく事象に揺り動かされたりせずに、淡々と対応するということが出来るようになります。物事から物事への切り替え力が養われます。どんなことも一々引きずらない。そういう力です。

 

そして一つのことをしている間の、それに対する即ち集中力。余計なことは考えずに、そのことに集中して取り組むことが出来る力も自然と身につきます。

 

瞑想で得られるこの2つの力があれば、生死のこと以外の大体のことは何とかなるものだったりするのではないかと思います。生き難さを感じている人にには、生きやすくなること請け合いです。