ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

プチ被災

停電中の間に、PCやらが使えなくなり、しなくてはいけないことが沢山あるのですが、それは少し横におき、今回の台風により 感じたこと 学んだことを 防災リーダーとして 忘れないうちに 書き留めておきたいと思います。

 

まず台風当日。

この日は早くからシャッターのある扉はシャッターを下ろしてPCの線は抜き、厳戒体制で臨みました。それゆえ、実際に台風が上陸してからは、恐ろしい轟音が鳴り響くばかりで 外の様子はわからないでいました。怖いものみたさで2階へ。2階の窓にはほとんどシャッターがないわが家

手摺のワンクッションあるベランダの窓を選んで外の様子を偵察することにしました。

 

外を見ていると、突風に舞い上げられたゴミなのか何なのかわらかないものが、ガンガン飛んで行きます。時折 一反木綿のような、長い帯状のものも流れていきました。

沢山のものが風で飛ばされている中、音はだんだんとけたたましくなり、窓のサッシの隙間から風音がヒューヒューと入ってきます。ここは安全ではないということを、肌で感じているうちに、墓地を挟んで向こうの住宅のあたりからガシャっと大きな音がしたのを皮切りに、屋根瓦が、端から順に、綺麗に捲れていくのを目の当たりにしました。そうなっているのがわが家だったとしても、ちっともおかしくありません。思わず声が上がりました。

 

いつ、屋根瓦ほどの、十分に凶器になり得るものが、家の中に飛び込んできてもおかしくないと判断して偵察を中止し、一階へ避難しました。その時すでに停電し、家の中の電気の止んだ異様な静けさと、外の風の爆音との対比が鮮明でした。

 

これまで生きてきた経験上、風が止んだら電気がつくだろう、くらいに思っていましたが、今回はそうではありませんでした。

 

風が少し落ち着いてから恐る恐る外へ出ると、一反木綿が電柱に巻き付いていました。

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電気が復旧した時に、火災などの2次被害がおきるんじゃないかと心配になり、引っ張りますが、高い所にかかっているため、なかなか外せません。自力撤去は諦めて、関電さんにお任せすることにしました。

 

近所の人と一緒に住宅内を歩いて回ってみると、大きな木が倒れていたり、外用の大きなゴミ箱が飛ばされいたり、どこのものかわならない物置が飛んで来ていたり、木柵がなくなっていたり、カーポートの屋根が飛んでいたりしていました。一反木綿もあちらこちらに巻き付いていました。

そのうちのゴミ箱には、水の入った2Lのペットボトルが4本も、重石として入れられていましたが、通りをクルッと回った先のお宅の前まで飛ばされてしまったようでした。

 

それぞれの家で、多少の被害がありましたが、ケガをしたというのが知る限りは誰もなかったことが、幸いだったと思います。

 

そして停電は一向に戻らないまま、一日目の夜を迎えることになりました。わが家では常日頃から、災害はいつ来てもおかしくないという想定がありましたので、心の方も、水や食料にも、それなりに備えがありました。なので、ジタバタすることなく、すんなりと夜を迎えることが出来ました。何か特別にしたことと言えば、今日は電気のない夜を楽しもうと腹をくくったことくらいでした。

 

ランタン懐中電灯で暗い所を照らしながら、カセットコンロを使っての調理をしました。この時点ではまだ冷蔵庫も冷たさを保っていました。

お風呂も、水シャワーを覚悟していましたが、温水器にお湯が残っていたため、お湯でシャワーをすることが出来ました。

トイレだけは、お風呂の水を汲んで、流さなければ、使えないので、いつもと違う労がありました。3日間を思い返すとこれが1番大変だったと思います。これについてはまた後述したいと思います。

 

携帯電話は、バッテリーを消費するアプリなどを使わないようにすれば、翌朝まで持ちましたが、娘と夫は車で充電をしました。この時に、車に挿せる3つ口のUSBソケットで、一気に3台の充電が出来、活躍しました。

そして車では遮断されているテレビの情報を得ることが出来たのが、良かったです。

家の中ではもっぱらラジオつきライトで、NHK放送を聞き、情報を収集をしました。

 

電気がないと、何も出来ないので、早々に寝ることにしました。

キャンプの時に板や土の上で寝るのとは違って、布団での睡眠が出来たので、何ら問題なく快適でした。

でももし避難所へ行かなければならなくなっていたなら、シュラフ銀マットも備えておいた方が良いアイテムだと思います。

 

 

一夜明け。キャンプで野外での生活に慣れている我々にとっては、電気がないくらい、どうということはない。そんな気持ちでいました。

昨日は出来なかった片付けを、明るいうちにやってしまおう。

午前中は片付けに励みました。

 

片付けている最中に、会社の若い衆が、先月生まれたばかりの子に飲ませるミルクのためのお水を求めてやってきました。幸いにも水は止まっていなかったので、家から提供できるお水は全て渡しました。マンションは電気だけでなく水も止まって、なお大変なんだと知りました。コンビニで水が売り切れて買えない有り様でした。

 

お昼からは、暑くなってきたので、クーラーのない中で、熱中症になるのを回避するべく、あまり動かずに、休校で走り回っている子ども達の様子を眺めていました。

真夏の猛暑や酷暑というわけでなくて幸いでしたが、十分に9月の初旬の暑さは残っていたので、近所の子と一緒に走り回る子ども達を冷や冷やしながら見ていましたが、それでも元気な子ども達を見ていると、時間の経過が進むに連れて萎えそうになる気持ちを元気付けてもらっていることに気がつきました。

 

沈んでいても仕方ないし、関電からは、明後日を目処に復旧という発表もあったことだし、このままだと冷蔵庫の食品は持ちそうにないし、明日はゴミの日だから、この際断捨離をしてしまおう。

電気は来ていないものの、幸いなことに、お水はしっかりありましたので、冷蔵庫の掃除をしながら 、常温で保存できるものだけ残して、冷蔵庫をスッキリさせると、不思議と気持ちも引き締まり、スッとしました。

 

そうして迎えた2日目の夜は、夫の提案により、隣の市のお風呂屋さんへ行くことになりました。私としては、キャンプの時も、お風呂に入れないことは良くあることなので、昨日はシャワーも出来たことだし、今日は身体を拭くシートで拭くだけで十分だと思っていたのですが、子ども達もこの提案を蹴るはずもなく。

 

卒業した塾に、携帯の充電をさせてもらいに行った次女にも連絡し、帰って来るのを待ちました。塾は、みんなが困っていることを知って、SNSなどの通信媒体で、在校生のみならず、卒業生やその家族、友達、塾に直接関わりのない人でも、充電しに来ていいよと呼びかけて下さっていました🔋🔌 心温まる対応が、ゴールが見えずに疲れはじめていた心に沁みました。

 

次女が帰ってきて、ありがたくお風呂とお食事をいただいた後は、明るい町から暗い町への移動です。家へ近づくにつれて、だんだん暗くなっていきました。

国道を通る道中、大きな看板が折れ曲がっていたり、信号が点灯していなかったり、台風の爪跡がしっかりと刻まれていることを感じました。

 

帰るまでに寄ったコンビニで、パンや飲み物を買おうと思いましたが、もはやどの店舗もパンやおにぎりのコーナーはスカスカで、商品がまったく並んでいませんでした。何軒寄ったかハッキリわかりませんが、5軒くらいは寄ったのだと思います。中には店自体が空いてない所もありました。

家にパンの缶詰があるから、大丈夫と言って、家に帰りました。

もしかしたら帰ったら明るいかもしれないと、そういう淡い期待も抱くことも出来ないほど、真っ暗な住宅地が待っていました。

 

この時には、声にならない疲れが、どっと押し寄せていたように思います。

 

そして迎えた2回目の朝。

停電から40時間以上が経過しましたが、電気はまだ来ないままでした。

それでも子ども達はようやく学校へ行くことが出来るようになり、状況は大きく一歩前進しました。

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朝ご飯が手に入らなかったので、この日は非常食の缶deボローニャのパンを開けました。

 

この日は青少年の活動の月一の会議で難波に行く日だったので、被災後初めてハンドルを握りました。

話には聞いていましたし、前日にも自分の目で見ましたが、本当に、信号が点灯していなかったり、木が倒れていたり、思わずブレーキを踏んでマジマジと見つめてしまうような光景が至る所で見えました。

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そろそろ平常心を保つのに、疲れが出てきていたので、余計なことを考えることなく、明るい電気の下で、メンバーと話をしたりしながら過ごすことの出来たこの時間は、精神衛生的にとてもありがたい時間でした。

 

夕方帰ると、そろそろまだ停電している組と早くも解除されて落ち着いてきている組とに別れてきたことを感じました。落ち着いてきた組の方々はとても優しく色んなことを提案してくれます。その優しさで、しばしばお腹いっぱい胸いっぱいになりました。思考力が一気に低下してきている状態になり、全てが優しさに包まれているような気がしました。

 

夜は友人宅に呼んでもらい、お風呂とご飯をいただきました。お鍋を囲んで談笑していると、次女の友人が、ツイッターで、住んでいる地区の復旧情報を載せていたらしく、友人宅で万歳をして🙌🙌🙌喜び勇んで家路につきました。

 

 

たった56時間ほどの停電でしたが、とても濃密で、考えさせられることが多くあった3日間でした。

熟考しなくてはいけないことも多くありますが、それはじっくり考えていく課題として

今回は、文中の赤字で印した部分について、少しまとめておきたいと思います。

 

 

まず①2階にシャッターがない件

これは早急に見直す必要があると感じています。今後早い段階で見積もりをとって、それ次第にはなるかとは思いますが、早々に導入していきたいです。

 

次に②の重石を入れておいても飛んで行った件

これは、家に入るサイズのものならば、なるべく、家に入れるようにすることや、外なら柱にくくりつけるなどの工夫が必要と責任を感じました。

 

そして③のトイレですが

この3日間で、何と言っても、やっぱりトイレが何より大変で、大切だと、痛感いたしました。
バケツで水を流す労力ももちろん大変なんですけど、それが故に、トイレに行くのを知らず知らずのうちに我慢してしまっていたり、飲む量食べる量も控えてしまっていたり。それで、お腹が張ってしまったり、夜中にトイレにかけこんだりすることになったりしました。トイレは食欲や体調に直結することなんだと、身をもって知りました。今後、1階か2階のどちらかだけでも、手動で流せるトイレにしたいと思っています。

 

それから④のお水ですが

わが家は宅配サービスのアクア○ララのお水を利用しています。1本12Lという大きさなので、これが常に2本はストックがある状態で、回転させています。多少コスパはかかりますが、災害時で電気が止まっていても、お水は飲める仕組みなので、ちょこちょこと買いに行く必要もなく、とても合理的に備えておくことが出来るため、いざという時に安心です。特に子育て真っ盛りの忙しい世帯にこそおすすめしたいと思います。

 

最後の⑤として本文には出て来ませんでしたが

わが家は太陽光を設置していません。これまであまり魅力を感じられなかったのが1番の理由なのですが、今回の停電を通じて、太陽光のおうちは、軒並み、それほど困っている様子はなく、洗濯と携帯の充電は賄えた、冷蔵庫の電源として、昼間は確保できた。とご近所の皆様の話を聞いて、それだけのことが出来たら十分ありがたいことだし、そんなに心強いことはないな、と感じました。

 

長々と一気に綴ってしまいましたたが、本文の緑の字はいざという時に困らないための、あったらいいな、おススメの防災グッズです。こちらはハッシュタグで一覧にしておきます。参考になれば幸いです。

 

 #ランタン #懐中電灯 #カセットコンロ #クルマに挿せる3つ口のUSBソケット #ラジオつきライト #シュラフ #銀マット #お水 #身体を拭くシート #缶deボローニャのパン #非常食 #バケツ #笛 #ツイッター #SNS

 

散乱中

身も家も心もとっ散らかっている42歳の夏です。
今年の夏も色んなことがありました。


まず、ライフワークの活動でキャンプが、台風の影響により中止になりました。
これはまだまだ未熟な自分にとってはなかなか大きいことで。
毎年この3日間の修行に出て、ほとほと自分というものの皮を脱ぎ捨てて帰ってくるのが、自分の中では良いルーティーンになっているものですが。
今年はこの機会を喪失し、ぎっしりと一年分の皮が溜まっているような状態です。

どこかで小脱ぎに・・・出来ないでしょうね、おそらく。

 

ということで、とっ散らかっているわけですが。
気の流れというのは本当に大事なことで。

澱んだ気は溜めないようにすることが大切なのですが。

生きていると多かれ少なかれ澱んだ気を取り込んでしまうもの。

それを日常で小出しにしつつ、どこかでまとめてどっさりと捨ててしまう。

こうすることで新鮮な気の流れを取り入れることが出来るようになるわけです。

そう、まさにそれこそが断捨離なんです。

 

「しなくちゃいけない」と気負うこともなく、大きな行事が中止になったからと言ってそんなことに左右されるわけでもなく、何気ない日常でそれがいつもサラッとできるようになれば、このタスクは習得というわけです。

まだそこには行けていない私であります。遠くて長い道のりです。

 

今年の夏は背中に出来たできものを切ってらうという課題も残っています。
3人目を産んだ際に、3人目に限っての帝王切開だったのですが、その際に背中に入れた麻酔の針の穴がこじれて「粉瘤」というものになったと、自覚しています。

というわけで背中に9年間も異物を養ってきたわけですが。
この夏の間に子どもとゴロゴロしていた時に、背中に顔をうずめた子に「臭い!」と指摘され。切開を決意した次第です(笑)

 

9年間、末娘と一緒に育てた異物は1円玉大くらいのけっこうな大きさがあり。手と目が届かない背面ということもあり、密かにどんどん発達をしていたわけで。まだ小さいうちは、気付いた夫が絞り出してくれたりもしていましたが、大きくなるとともに恐れが出てきたようで、病院へ行くように  と言われていましたが、緊急性のない自分のことはいつも後回しの日々。気が付けばもう末娘と同じ9年選手になっていたわけで。

 

近頃はそれが背中を圧迫していてか、背中の痛みに襲われることも少なくありませんでした。それが麻酔の針穴に出来ていると考えれば、神経を圧迫していることも、素人ながらに十分考えられるわけで。匂いや痛みなど改善すべく、メスを入れていただくことにしました。日帰りで15分ほどのことのようで、大したことではないとわかっていても、ビビりの自分はそれが終わるまで心の落ち着きを取り戻せないでいるようです。何て小さい人間なんだろうと思わざるを得ないわけです。

 

自分は、生きている上で、誰に、いつ、何がおきても、全然おかしくないと、どこか達観している節がありますが。かと言って、現実的な、目の前の小さな小さな出来事については、動揺を隠せないという事実真実もまたあるわけで。そんな自分がまた可愛らしく思えたりもします(笑)

もはや、その心の観察と整理というか制止でいっぱいいっぱいになっているわけで。とっ散らかっている日常なのでありました。

 

いつもとにかくポジティブな私の ちょっとネガティブな一面でした(笑)

40の手習い?

何故だか日記のカテゴリの中にある「お茶会」

ボランティアで関わることが増えてきたのでエントリーしたものだったのですが

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この度(と言っても来年の話)「普通のお茶会」にスタッフとして参加することになりました。

公私に渡ってお世話になっている従姉妹のお願いとあって、断れません。

というか、先方にも、断らせないくらいの気迫があり。

有無を言わさず。に、限りなく近い形で引き受けることになりました。

 

ここ3年間くらいお手伝いをさせていただいていた老人ホームでのお茶会では、立礼式が主流で、お運びさんとして入居やデイの方向けにお茶を出すことをしてきました。

そのご縁で先生のお茶会に呼んでいただくことも何度か経験させていただいてきたのですが。

 

その様な経験が少しあるだけで、まさか、この年になってから、今まで背を向けてきたことにまともに向き合うことになろうとは考えてもいなかったわけで。

何でこんなことになってるんでしょうか。

縁とは本当にわからないものですね。

 

背を向けてきたと前述しましたけれど、何か特別に理由があって、毛嫌いして、そうしてきたわけではありません。

ただ単にこれまで自分には縁がなかったし、とりたてて魅力も感じていなかった。

というか、むしろそれは、ただただ何の疑いもなく日本の文化に迎合することのような気がして、「古き良き」ということを疑いなく信じている人の感覚の方が自分には馴染めなかった。

それで、他人事として遠巻きに見ていたと、言えるかもしれません。

 

かと言って目の敵にするほど嫌いになる理由なんかもまったくなかったわけで。

だからお茶のことや和服のことは保留案件として自分の中では是も非もなく手つかずの領域になっていたことでした。

 

昨日初めて少しお稽古というものをつけていただいて。

感じたことと言えば、圧倒的にセンスがないというか、要領を得ないというか。

本番まで1年足らずの間にどれくらい使いものになるのか、まったく未知数ですが。

必要なことを習得するにはかなりしんどい話だなと 感じています。

 

だけども、この、どうにもならないような話に協力してくれる仲間もいて。

ありがたさを噛み締めつつ、自分よりは遥かに経験値の高い、仲間というか 先輩達の胸を借りる形になりそうな気配です。

ただ単純に甘えるのではなく、一緒に高まっていけるように、足を引っ張ら無いように(実際引っ張ってしまうのだろうけど)やるからには、ちゃんとやりたい。と思います。

 

ひとまず来年までの期間限定での話なので、知らないことを楽しみつつ、出来ないことに悶えつつ、ゴールを見据えながら精進していきたいと思います。

 

〇〇になりたい!

三女が最近学校で将来なりたいものについてよく考えたりしている様子。

 

「お母さんは子どもの時に  何になりたかったん?

 

「お母さんはねえ。インディージョーンズとかのアドベンチャーが好きでねえ。冒険家になりたかったんよなあ。」

 

「そうなん?」

 

「そうなん!」

 

「それ…私もなりたい!

 

「そうなん?」

 

「うん!楽しそう❗️」

 

それ以上は何も詳しく説明もしなかったのだけど。

[母は日々好きなことをして生きてる]

ように見えていることだろうと思う。

実際嫌なことからは全力で遠ざかっているし、毎日結局好きなことしかしていない、笑。

「しなくてはいけないこと」は必要最小限のみ実施してますが。

しなくてはいけないことと、したいことが、今では一緒になってる部分も多くて 明白な線引きは難しい。

 

実際母がしているんだろう仕事のあれこれや

趣味なのかボランティアなのか、よくわからないあれこれは一体何なのか。

と思っているのではないかと思われる。

だって、当の本人が「こういうもの」というのを表現し難いのだから。

 

そんな娘に「冒険家」というワードがパチンとはまったみたいだ。笑

すごい説得力があったみたいだ。

 

普通の感性なら、冒険家なんて聞いたら、あれは映画だから とか、現実離れしてる とか、何で今の像と全然違うの とか、そんな風に思うんじゃないかなあと思われる。

実際自分も3年生か4年生の時に、将来の夢は冒険家とプリントに書きながら、半分はこんなんでいいのかな?という不安があった。笑

 

でも娘は、よくわからないけど、そうか、冒険家を目指すと母のようになるのか。と感じたみたいだ。

しまいには「お母さんになりたい!」とまで言い出した。

 

「えー。こんなダメダメのポンコツの母さんでいいの?」

 

「うん。お母さんがいいねん!

お母さんみたいになりたい!」

 

耳を疑うような言葉だけど

いやいや。録音しておきたかったなあ。

この先にどんな困難があっても、この言葉を聞いたら、力になるような気がする。

 

娘に、お母さんはお母さんのままでいいんだよ

って全肯定してもらったようで。

何だか心がふんわり 温かい。

 

録音は出来なかったけど

残しておきたい親子の会話でした。

妄想 寝言 夢物語

 環境の勉強をしてきた自分にはやりたいことがある。

それはアスファルトの撤廃だ。

今の地球温暖化の原因の半分くらいはこれが占めている。いや、もっとかもしれない。

と自分は勝手に思っている。

残念ながらこれはきちんとしたデータからの裏付けではない。

だけども動物的な勘が、そうだと言っている。

夏の暑い日にアスファルトの上を通ると、誰しも湯気のような蜃気楼のようなモアモアしたものを見たことがあるのではないかと思う。

これこそが暑さの証明だと言うのは言い過ぎだろうか。

手を置いたりしてみても、火傷をしてしまうような熱を放っている。

あまりにも人工的で不自然な産物であると常々思っている。

 

舗装も扱う建設業界の人間ながら、何故このような物が大手をふるってこのようなSDGsが声高に叫ばれるようなご時世に未だ地球を覆い尽くそうとしているのか、謎である。

きっと利権やら何やらあるからに違いない。コスパも悪くはないのだろう。車両の走行性も良好に違いない。

環境には良くないけれど。

 

走行性>コスパ>環境

もしくは

コスパ>走行性>環境となっているベクトルを変えたい。

環境=コスパ>走行性

となれば、車両業界も黙ってはいないだろうけど

車両業界も環境汚染と破壊の一翼は担っているわけだから、負担は分担してもらって当然だろう。

 

無責任に環境に良くないと言ったのだから

少しは根拠も示さなくてはならないだろう。

 

ある大学で行われた驚愕の研究データを見つけた。

ここから、アスファルトは気温上昇をし始めた4時間後には60度まで温度を上げていることが見てとれる。

更に驚きなのが、アスファルトと芝生との温度差が実に15〜20度はあるということ。

芝生は水を含んでいるからということもあるだろうか。

 

また、別の調査によると

アスファルトと土でもその差の大きいことが伺える。

アスファルトが最高で54.2度に達した時、土なら39.2度であるということ。

その差は15度である。

 

こういった単純な事実から、アスファルトは全部めくってしまって、土に置き換えた方がいいということを実は10年くらい前から1人で勝手に提案している。けれども誰も相手にしてくれない(笑)

身内には、しまいには、刺されてしまうから、あまり大きな声では言わないように とさえ言われている。

 

そう言われたらそうだ。確かにその仕事に携わる者からすれば死活問題だ。

早急に全て遣り替えるなんて確かに無責任だし無理難題だろうと思う。

けれども段階的に試験的に導入実施していってもおかしくない時代に突入しているのではないかと思う。

 

つい先日は希望の光となるニュースも舞い込んできた。

http://www.minkyo.or.jp/01/2017/01/nipponnochikara_79.html

これによると、鳥取の砂を固める接着剤が開発された。ごく少量で全体を固める能力があるということで、JAXAも目を付けているという。

 

道路業界がこのような光を取り込んで、新たな体制を築いて進化し、持続可能性を高め、妄言でも夢物語でもなく、現実になることを願っている。

合格しました

三女が中学受験の塾に通い始めて3カ月が経過しました。

相変わらず無理はさせないユルーい見守りのわが家ですが。

子の方はというと、そんな親の思惑とは違い?けっこう真剣に持てる力を出している様子。

ここへ来て「宿題全部出来たで❣️」という言葉もチラホラと耳にするようになり。

「え!マジで!ほんまに❓すごいやん❣️天才やん❣️」と大絶賛のエールを送っています。

そうなると、いつもの宿題テストの方も自然と点数が伸びてくるわけで。

ついこないだまでは20点とか30点だったはずなんですが、いつの間にか80点合格ラインに到達したようで、そのテストを嬉しそうに見せてくれました。

おおおお〜😮ほんまや。すごい。すごいなあ。

 

ここへ来て感じていることは。

「子どもの持つ力を信じて好きにさせてあげること = 子どもの自己肯定感を損なわずに高めてあげること」

これには幾らかのお金や時間も必要だったりするわけですが。

そこを惜しまずに協力することで、その環境の中で子ども自身に任せていても、自発性が伴う子どもはどんどんと成長していくのだなということ。

 

 

好対照の例として

わが家の二女は本当にお勉強をしませんでした。勉強におおむね興味関心がなく、残念ながら最近までほとんど勉強していません。

勉強を頑張るから、行かせてほしいと頼み込まれて入った私立高校ですが、それでもやっぱり勉強はしていませんでした(苦笑)

そのため先日の中間テストでは、国際科の2クラス中、なんと最下位という成績を収めました。

試験前や試験期間中の態度や素行を見ている限り、そうなるだろうな、ということは充分に予測が出来ました。

だけどもユルいわが家は特にほとんど何も言いませんでした。ガミガミと言ったところで、勉強はしないだろうし、親の不用意な言葉で自己肯定感を下手に損ねてしまうだけだということがわかっていたからです。

仏教的に言うと親としての忍辱波羅蜜の修行の場です。

 

そして結果を見てニンマリ。予想通りです。良かった。心の底からそう思いました。

何故なら、それくらいの頭の打ち方をしない限り、自発的に動き出さないことがわかっていたから。

最下位という結果に、さすがの彼女もこれじゃあイカンと思ったようで、ようやくスイッチが入りました。それからは、席替え時に前の席にしてもらったりするなど、自発的な動きがようやく見られるようになってきました。

こうなると、何と言っても最下位ですから、後は上がるしかありません。彼女が頭を打ってからのやる気がどれくらいのものか、今はその伸び代を見守っているところです。

 

そんなお勉強はあんまりしない彼女ですが、音楽とダンスが好きで、そこは放っておいても自発的にガンガン頑張っています。自己肯定感が高い子なので、人の前で発表するということに対して抵抗が少ないようで、ダンスだけでなく、学校での英語スピーチなどはクラスで5位の中に入ったりもします。

また、英語だけは好きなようで、英語の学習意欲はそれなりにあります。英検なども順調に取り進めています。

そんな彼女の伸び代は未知数な訳ですが、きっと持ち前の自己肯定感でもって、行きたい方へしなやかに伸びて行くんじゃないかと思われます。

 

 

何が言いたいかと言うと

それぞれに得意な分野があるということ。

二女の場合はそれが英語であり音楽でありダンスであり。

三女の場合は今のところ勉強なのかな。

長女は小学校の卒業アルバムの将来の夢に「自衛官」と書いた通りにその希望をかなえました。

勉強が全てではないし、本人の得意なこと、自発性の伴うものしか、親がどんなに努力をしたところで結局は伸びない、伸ばせないということ。

そしてそれには幾らかのお金と時間が必要であること。

親としては、そこの部分を頑張ってあげられたら、腹をくくって寄り添ってあげられたら、十分なんだということ。

 

長女の子育てをしていた時に暗礁に乗り上げている気持ちで、不安いっぱいだった自分に言ってあげたかったこと(笑)

今更だけど、良く見れば巷にありふれてもいることだけど(笑)改めて自分なりの言語化にしていきたいと思います。

環境教育授業

昨年に引き続き、今年も授業をさせていただくことが出来ました。

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住んでいる地域の森を住んでいる地域の小学3年生に学校の授業として案内するという所属NPOの事業です。

今年も案内人の1人として子ども達に自分の住んでいる町の自然の良いところを自画自賛的に伝えてきました。

子ども達の「へえ〜!すごい!そうなんや!」という声と眼差しが何より嬉しく。貴重な時間を過ごさせていただいています。

 

自分の母校でもあるわけですが。正直に言って自分が子どもの時にはあまり好きではなかった地元です。特に私の年代ではヤンキーの巣窟とでもいうような、当時は相当に悪かった学校で。子どもといえども心が荒んでいる、そう言わずにはいられないような環境だったと思います。誇らしいことなんて何一つ感じられず、むしろ嫌なことばかり目につく。恥ずかしながら自分にとってはそういう場所でしかありませんでした。それは本当に当時の自分の心が幼く稚拙だったこととも直結していることですが、それだけではないだろう環境の良くなさ(個人的、家庭の課題も含む)も確かにあったのだろうと思います。

 

大人になってから、本腰を入れて環境の勉強をするようになり、それから改めて学び始めた地元の環境のこと。それはまさしく「へえ〜!すごい!そうなんや!」との出会いの連続でした。

それらは当時から厳然として在りながら幼稚だった自分の心には届かなかった事もあったでしょう。また、比較的最近になって調査が進んだおかげでわかるようになったことも多くあり。当時の自分がこんなことをもし知っていたら、少しは自分の住んでいる地域を好きになれたんではないか という想いが頭をもたげます。

 

小さいうちから、自分の住んでいる所を好きになってもらえたら。自分の住んでいる所をほんの少しでも誇らしく思えたら。それは自分を支える礎となってくれることでしょう。そのような小さなことの積み重ねでしか自己肯定感というものは育まれないと思います。

自己肯定が出来る子は、困難に出会っても乗り越える力があります。今を生きる子ども達のその基礎の部分に少しでも寄することが出来れば、こんなに嬉しいことはありません。

 

話が随分と暑苦しくなりましたが(笑)今年の3年生はちょうど末娘のいる学年です。会う子会う子に「〇〇のお母さんや〜」と言われ、なかなか面白い状況でしたが、青少年の活動の方で同じフィールドにいることに慣れている娘もさすがに少しいつもとは違う感じがするようでした。

学校から帰ってきたら、「お母さんの担当してた班の子が、面白かったって言ってたで」と、とりあえず褒めてもらい、ご機嫌を損ねないでいられたようで良かったと思います。

 

今年は初めての昨年とは違い、多少なりとも要領を得ていたので、少し心に余裕を持って臨むことが出来ました。

まあ課題は沢山あるわけですが、少しずつ掘り起こしていきたいと思います。