何故環境だったのか.2
何故環境だったのか.1 - ココロにツバサ属 からの続きです。
彼と私と私の子どもと新しく宿った命と。
一つの家族になることが決まった。
この時には超肉体労働をしていたので、大事をとってやめることにした。
日を追う毎に 家には夫の事業の書類が山積みになっていった。
いつしかこれを整理分類するのが私の主な仕事になっていったのは ごく自然な流れだったと思う。
大口の取引先の倒産により こちらで借金をして支払いに充てるしか 他に手がなかった。
そのためには帳簿が必要だった。
幸いにも複式簿記の記帳の仕方を知っていた。
人生ってのは不思議と帳尻が合うようになっている。
少し時間にゆとりが持てるようになった所で、経理事務士の資格を取得したり、仕事の本体である土木のことについてなど 興味関心のあることを手当たり次第に勉強し始めた。
色に関心があった自分は、カラーコーディネーターや色彩検定なども順調に取得していった。
色は仏教ともダイレクトにつながることにも気が付き始めた。
色即是空 空即是色。
色って何なんだ (空って何なんだ)
色は勉強が進むにつれて、専門分野に分かれ始めた。
商品と、ファッションと、環境…
自分は環境のことなんて、何も知らない。環境って一体何だろう…
何だかわからないけれど、自分達が、どちらかというと、環境を壊す側の職種でもあることは、薄々自覚はしていた。
何も知らない私達が、何も知らないままで、仕事をしていて、いいのだろうか…
ふとそんな疑問が沸いてきた。
「イイワケナイダロ」
天の声だったのか 心の声だったのかはわからない。
このようにして、気がつけば、環境とは何か。
これが自分にとっては最大の関心事になっていた。
そして福祉住環境コーディネーターの勉強もし始めた。
バリアフリーなど、今の仕事にも直結することだった。
妹の障害のこともあり、それは他人事でもなかった。
ユニバーサルデザインの考え方に感動し、社会が進化していることも感じていた。
環境って幅が広いんだな。
子どもの育つ場所も環境だし。
私達が生きる場所も環境と言える。
エネルギーだって環境と名前が付くし
自然環境は最たるもので。
大局的には地球環境なんてものもある。
これらは全て別々のもののようでも一続きのもので。
こういう概念としての環境。
これは私にだって何となくわかる。
けれども、私達は、環境のために、一体何が出来るって言うんだろう。
私達は、何をすればいいんだろう。
そんな風に悶々としていた時のことだった。
家族で天王寺動物園を訪れた。
リニューアルした動物園はそれまでの知っている馴染みのあった場所とは違い、すっかり新しく、自然風に変わっていた。
かと思いきや、心踊るようなワクワクする絵が描かれいる壁。それらをマジマジと眺めていた。よく見るとそこには環境デザイン学科の文字が入っていた。
ハっとした。そうか、こういうことか…
頭の中のあれこれと目の前の現実が つながった。
この後、この学科のある大学に通信教育課程があることを知り、いても立ってもいられずに、高卒認定の試験を受け、入学を決めた。
それは一度はワープアウトした道だった。レールの上を無難に歩むことに危機感とも危惧とも問題意識とも言えるものが全力でNOと言ったはずの道だった。
環境とは何か。
このことの答えはまだ出せていない。
それは人それぞれに答えが違うものだからだろう。
これが正解という明確な答えはない。
大学に行って学んでもみたけど 答えは見出せなかった。
これが現状での私の答えと言えるだろう。
今後もこの最大関心事を 十字架を握りしめるような気持ちで 学んでいくつもりでいる。
自分は仏教徒だけれども。