ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

散乱中

身も家も心もとっ散らかっている42歳の夏です。
今年の夏も色んなことがありました。


まず、ライフワークの活動でキャンプが、台風の影響により中止になりました。
これはまだまだ未熟な自分にとってはなかなか大きいことで。
毎年この3日間の修行に出て、ほとほと自分というものの皮を脱ぎ捨てて帰ってくるのが、自分の中では良いルーティーンになっているものですが。
今年はこの機会を喪失し、ぎっしりと一年分の皮が溜まっているような状態です。

どこかで小脱ぎに・・・出来ないでしょうね、おそらく。

 

ということで、とっ散らかっているわけですが。
気の流れというのは本当に大事なことで。

澱んだ気は溜めないようにすることが大切なのですが。

生きていると多かれ少なかれ澱んだ気を取り込んでしまうもの。

それを日常で小出しにしつつ、どこかでまとめてどっさりと捨ててしまう。

こうすることで新鮮な気の流れを取り入れることが出来るようになるわけです。

そう、まさにそれこそが断捨離なんです。

 

「しなくちゃいけない」と気負うこともなく、大きな行事が中止になったからと言ってそんなことに左右されるわけでもなく、何気ない日常でそれがいつもサラッとできるようになれば、このタスクは習得というわけです。

まだそこには行けていない私であります。遠くて長い道のりです。

 

今年の夏は背中に出来たできものを切ってらうという課題も残っています。
3人目を産んだ際に、3人目に限っての帝王切開だったのですが、その際に背中に入れた麻酔の針の穴がこじれて「粉瘤」というものになったと、自覚しています。

というわけで背中に9年間も異物を養ってきたわけですが。
この夏の間に子どもとゴロゴロしていた時に、背中に顔をうずめた子に「臭い!」と指摘され。切開を決意した次第です(笑)

 

9年間、末娘と一緒に育てた異物は1円玉大くらいのけっこうな大きさがあり。手と目が届かない背面ということもあり、密かにどんどん発達をしていたわけで。まだ小さいうちは、気付いた夫が絞り出してくれたりもしていましたが、大きくなるとともに恐れが出てきたようで、病院へ行くように  と言われていましたが、緊急性のない自分のことはいつも後回しの日々。気が付けばもう末娘と同じ9年選手になっていたわけで。

 

近頃はそれが背中を圧迫していてか、背中の痛みに襲われることも少なくありませんでした。それが麻酔の針穴に出来ていると考えれば、神経を圧迫していることも、素人ながらに十分考えられるわけで。匂いや痛みなど改善すべく、メスを入れていただくことにしました。日帰りで15分ほどのことのようで、大したことではないとわかっていても、ビビりの自分はそれが終わるまで心の落ち着きを取り戻せないでいるようです。何て小さい人間なんだろうと思わざるを得ないわけです。

 

自分は、生きている上で、誰に、いつ、何がおきても、全然おかしくないと、どこか達観している節がありますが。かと言って、現実的な、目の前の小さな小さな出来事については、動揺を隠せないという事実真実もまたあるわけで。そんな自分がまた可愛らしく思えたりもします(笑)

もはや、その心の観察と整理というか制止でいっぱいいっぱいになっているわけで。とっ散らかっている日常なのでありました。

 

いつもとにかくポジティブな私の ちょっとネガティブな一面でした(笑)