40の手習い?
何故だか日記のカテゴリの中にある「お茶会」
ボランティアで関わることが増えてきたのでエントリーしたものだったのですが
この度(と言っても来年の話)「普通のお茶会」にスタッフとして参加することになりました。
公私に渡ってお世話になっている従姉妹のお願いとあって、断れません。
というか、先方にも、断らせないくらいの気迫があり。
有無を言わさず。に、限りなく近い形で引き受けることになりました。
ここ3年間くらいお手伝いをさせていただいていた老人ホームでのお茶会では、立礼式が主流で、お運びさんとして入居やデイの方向けにお茶を出すことをしてきました。
そのご縁で先生のお茶会に呼んでいただくことも何度か経験させていただいてきたのですが。
その様な経験が少しあるだけで、まさか、この年になってから、今まで背を向けてきたことにまともに向き合うことになろうとは考えてもいなかったわけで。
何でこんなことになってるんでしょうか。
縁とは本当にわからないものですね。
背を向けてきたと前述しましたけれど、何か特別に理由があって、毛嫌いして、そうしてきたわけではありません。
ただ単にこれまで自分には縁がなかったし、とりたてて魅力も感じていなかった。
というか、むしろそれは、ただただ何の疑いもなく日本の文化に迎合することのような気がして、「古き良き」ということを疑いなく信じている人の感覚の方が自分には馴染めなかった。
それで、他人事として遠巻きに見ていたと、言えるかもしれません。
かと言って目の敵にするほど嫌いになる理由なんかもまったくなかったわけで。
だからお茶のことや和服のことは保留案件として自分の中では是も非もなく手つかずの領域になっていたことでした。
昨日初めて少しお稽古というものをつけていただいて。
感じたことと言えば、圧倒的にセンスがないというか、要領を得ないというか。
本番まで1年足らずの間にどれくらい使いものになるのか、まったく未知数ですが。
必要なことを習得するにはかなりしんどい話だなと 感じています。
だけども、この、どうにもならないような話に協力してくれる仲間もいて。
ありがたさを噛み締めつつ、自分よりは遥かに経験値の高い、仲間というか 先輩達の胸を借りる形になりそうな気配です。
ただ単純に甘えるのではなく、一緒に高まっていけるように、足を引っ張ら無いように(実際引っ張ってしまうのだろうけど)やるからには、ちゃんとやりたい。と思います。
ひとまず来年までの期間限定での話なので、知らないことを楽しみつつ、出来ないことに悶えつつ、ゴールを見据えながら精進していきたいと思います。