ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

合格しました

三女が中学受験の塾に通い始めて3カ月が経過しました。

相変わらず無理はさせないユルーい見守りのわが家ですが。

子の方はというと、そんな親の思惑とは違い?けっこう真剣に持てる力を出している様子。

ここへ来て「宿題全部出来たで❣️」という言葉もチラホラと耳にするようになり。

「え!マジで!ほんまに❓すごいやん❣️天才やん❣️」と大絶賛のエールを送っています。

そうなると、いつもの宿題テストの方も自然と点数が伸びてくるわけで。

ついこないだまでは20点とか30点だったはずなんですが、いつの間にか80点合格ラインに到達したようで、そのテストを嬉しそうに見せてくれました。

おおおお〜😮ほんまや。すごい。すごいなあ。

 

ここへ来て感じていることは。

「子どもの持つ力を信じて好きにさせてあげること = 子どもの自己肯定感を損なわずに高めてあげること」

これには幾らかのお金や時間も必要だったりするわけですが。

そこを惜しまずに協力することで、その環境の中で子ども自身に任せていても、自発性が伴う子どもはどんどんと成長していくのだなということ。

 

 

好対照の例として

わが家の二女は本当にお勉強をしませんでした。勉強におおむね興味関心がなく、残念ながら最近までほとんど勉強していません。

勉強を頑張るから、行かせてほしいと頼み込まれて入った私立高校ですが、それでもやっぱり勉強はしていませんでした(苦笑)

そのため先日の中間テストでは、国際科の2クラス中、なんと最下位という成績を収めました。

試験前や試験期間中の態度や素行を見ている限り、そうなるだろうな、ということは充分に予測が出来ました。

だけどもユルいわが家は特にほとんど何も言いませんでした。ガミガミと言ったところで、勉強はしないだろうし、親の不用意な言葉で自己肯定感を下手に損ねてしまうだけだということがわかっていたからです。

仏教的に言うと親としての忍辱波羅蜜の修行の場です。

 

そして結果を見てニンマリ。予想通りです。良かった。心の底からそう思いました。

何故なら、それくらいの頭の打ち方をしない限り、自発的に動き出さないことがわかっていたから。

最下位という結果に、さすがの彼女もこれじゃあイカンと思ったようで、ようやくスイッチが入りました。それからは、席替え時に前の席にしてもらったりするなど、自発的な動きがようやく見られるようになってきました。

こうなると、何と言っても最下位ですから、後は上がるしかありません。彼女が頭を打ってからのやる気がどれくらいのものか、今はその伸び代を見守っているところです。

 

そんなお勉強はあんまりしない彼女ですが、音楽とダンスが好きで、そこは放っておいても自発的にガンガン頑張っています。自己肯定感が高い子なので、人の前で発表するということに対して抵抗が少ないようで、ダンスだけでなく、学校での英語スピーチなどはクラスで5位の中に入ったりもします。

また、英語だけは好きなようで、英語の学習意欲はそれなりにあります。英検なども順調に取り進めています。

そんな彼女の伸び代は未知数な訳ですが、きっと持ち前の自己肯定感でもって、行きたい方へしなやかに伸びて行くんじゃないかと思われます。

 

 

何が言いたいかと言うと

それぞれに得意な分野があるということ。

二女の場合はそれが英語であり音楽でありダンスであり。

三女の場合は今のところ勉強なのかな。

長女は小学校の卒業アルバムの将来の夢に「自衛官」と書いた通りにその希望をかなえました。

勉強が全てではないし、本人の得意なこと、自発性の伴うものしか、親がどんなに努力をしたところで結局は伸びない、伸ばせないということ。

そしてそれには幾らかのお金と時間が必要であること。

親としては、そこの部分を頑張ってあげられたら、腹をくくって寄り添ってあげられたら、十分なんだということ。

 

長女の子育てをしていた時に暗礁に乗り上げている気持ちで、不安いっぱいだった自分に言ってあげたかったこと(笑)

今更だけど、良く見れば巷にありふれてもいることだけど(笑)改めて自分なりの言語化にしていきたいと思います。