明けない夜はない
3月から引き続いての自主的な見守り活動を開始。
5月と3月が本部の担当。間の4月はまだ組織がきちんと立ち上がっていないため、担当がなく、事実上の空白状態。
昨年一年生の保護者だった立場で考えると、本当なら1番見守りの目が必要なこの4月だったりする。
昨年の5月に立つようになってから、気が付いたことがたくさんあった。
多くが元気溌剌とした小学生で、わが子もどちらかと言うとこのタイプ。
だけども中には学校に行くのがしんどい子もいる。
お母さんに毎朝連れられて、毎日が今生の別れといういう時間にも出くわした。高学年の男の子の話だ。
先月の3月には、まだその状態が続いていたことを知るところとなった。
その間にもその彼の動向には着目していたので、変わらずしんどそうだということは感じてはいた。
だけども5月〜3月の間ずっとそれが続いていたと思うと、改めて母の偉大な愛を感じられもしていた。
毎朝少しばかりの言葉を交わす中で、母は新年度には大丈夫になる…と、一筋の期待を滲ませていたが、毎朝の今生の別れを、何も出来ずにただ「頑張れ…‼︎」と見ているしか出来なかった者としては、考え難い希望的観測のように思えてもいた。
だけども違った。
昨日はまた例のごとくに母が付き添いはしたが、今生の別れではなく、サラっとした別れだった。目を見張った。
そして今日彼はついに1人で学校に来たのだった。
いつからあの状態だったのかはわからない。けれども知り得る間だけでも充分に長かったと思う。
ゴールの見えない不安に苛まれたこともあったのではないかと思う。
寄り添いきった母に今度会ったら尊崇の念をもっておつかれさまを言いたい。