ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

龍樹

今から書く話は龍樹を読むに当たっての長〜い前置きです。

龍樹の理論はまだ何一つ書く段階になく、触れていないことを先にお断りいたします。

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何を隠そう仏教マニアである。

仏教との縁は割と古く、物心が付くような頃には既にいつも側にあった。

曾祖父母の供養でいつも盆正月はお寺に参ってお経をいただいていた。そこのお坊さんのお話からいつもインスパイアされていた。

隣に住んでいた祖母の毎朝夕の読経も毎日普通にあるものだった。

家には手塚治虫ブッダがあったし、親戚の家には原始仏典があり、漁るように読み耽っていた。

 

乗り越えなければならない大きな課題が2つあった。一つは妹のこと。重度の身体障害を抱える妹のことは、より生活に密着した問題だった。母の手が私にまでは回らない。今から思うとすごく当たり前のことだし、当時も仕方ないとは思っていた。だから困ったことがあっても困ったと言い出せない自分がいた。極限まで溜めて、それでも尚外に出すということをせず、何とか自己解決を計って生きていた。

 

年頃になるともう一つの課題の方がより私を苦しめるようになった。16〜17歳の時、それまで何とか保っていた生活と心身のバランスが一気に崩れ去った。もう、何もかもがどうでも良かった。それまでもずっと、自分なんかは生まれて来なければ良かったんだと思ってきたけど、何とか最低限と思われる人間らしい生活だけは保ってもいた。それは親の功徳に他ならないが、自助努力なくしても成り立つことではない。でもその頃を境にそれさえも出来なくなった。表向きにはそこそこの人生を歩んでいたはずの私の生活は急転直下して行った。

 

時系列を少し戻しますが

小学生のときに観の瞑想をしていた。主に毎日の登下校時のこと。当初は無意識に始まった遊びでしかなかった。右足を一歩前に、左足を前に、右手を前に、踵が付いた…などなど、ありのままの実況中継。ここから無我を悟っていった。だけどもこれを無我と呼ぶ知識は当時にはなかった。ただ如実に自分から縁起する様が見える。それも今の私が言葉にするとこういう表現になるだけで、その時の私にそんな言葉を知る由もなかった。伝える術がなく、人に言えない話だった。その遊びが実は上座部仏教などで行われているヴィパッサナー(観)瞑想と知ったのはまだ僅かに10年程前のことだったりする。

 

その頃、色んなことが見えては問題点を突く私を大人達は煙たがった。同級生には気持ち悪がられた。その事はすぐに学んだので、私は尚更何も言わないようになった。皆には見えないんだな、だから仕方ないんだ。見えないことは誰が悪いんでもない。

 

その時既にお釈迦様の言葉に答えを見出していた。「人は生まれによって聖者になるのではない。行いにより聖者になる。」このことが自分の心の拠り所だった。

では聖者になる行いとは一体何だろう。それが無意識の遊びへの探究心の種になっていたのだろう。

 

身体障害者を差別する心や人種差別をする心。何だからこれだからと分け隔て、そこから諍いは起きてくる。そしてそれらを表出しなければならない理由。全てが研究の対象だった。そして究極の無我に辿りついた。貪瞋痴の色付けをするのも自分。それらを無意識のうちに受け取り輪廻させているのも自分。自分さえその感情に火を灯さなければ、全て丸く収まるはずなんだけど。元より、そんな自分が存在するのも一時の気の迷いでしかなく、そんな“自分”を確固たる存在に至らしめていることも自分への執着心でしかないということ。手放せば、そこには何もない。

 

それに気付き、実践を続けた。何度も何度も不安になりながら。心細さに震えながら。

でも年頃になってその砦は崩れてしまった。“自分”を打ち立てて俗世を生きる上でのアイデンティティを法的に失い、それまでブレーキをかけて耕やし続けてきた感情が一気に表出し始めた。享楽的に生きることを厭わなくなった。縁起に身を委ねた。自分なんかはいつ死んでもいいのだ。赤信号に突っ込んでいくのも怖くはなかった。世間で悪と言われることを殆ど経験した。何一つとして楽しいことも気持ちの良いこともなかったけれども、そんな風にここでも観の目を外すことだけは出来なかった。

 

20歳の時に子どもを授かった。ようやっと出来た自分の居場所だった。それはこんな自分でも生きていていいんだと、心から思えた出来事だった。子どもを育てて行くという大義名分をいただいて、やっと自分の存在理由に意味を見出せるようになったのだった。

 

そうして人の親になったのだからと、子に恥じない生き方を選択するようになり、初めて丁寧に自分の人生を生きるようになれたのだった。そうして初心に戻って再び前を向いて歩き始めると、それまでには気が付かなかったことが沢山見えてくるようにもなり始めた。何より暴走期間のツケは大きいものだった。まさしく自業自得である(笑)自分を大事にするということの果に24歳で初めて気が付いた。

 

自分がすっかりと捻くれていただけで、世の中には割と慈愛が多くあること。一部にはやっぱり足を引っ張り合ったり、我儘だったり、そういうこともあるのだけれど、誠実に、着実に、真面目に、真摯に問題と向き合い、寄り添ったり少し離れたり、それぞれの方法で光の方へ導く方々の存在があることを知った。

 

そして41歳の今 私はその1人であると自負している。

 

まだまだ知らないことの方が多いし、この世の全てを悟ったわけでもない。だからこそ今後も回りと向き合い、沢山の人から言葉と意味を学び、かつては “誰が悪いんでもない” で停止し、明らめ諦めしてきたことを、言葉や態度をもって良い方向に共に歩んでいける人間であろうと思っている。押し付けることなく(笑)

 

今日はタイトルの注文していた本が届いた。こんな所まで学ぶ気はさらさら無かったのだけど。案外これに振り回されている人を見かけるので、今後の対処のためにも吸収しておきたいと思う。前向きに深めていくことが出来ていることに、これまでの全てに感謝して、読みたいと思います。

 

とは言っても年度末の超絶忙しい時期(笑)こんな事をしているのも褒められたものじゃないし、現実逃避感も否めないのが現実。買っただけで満足している所もあるけれど。読むに当たっての長〜い前置き(笑)読んでくれた人がいたら、ありがとう。