嬉しいこと
マレーシア旅行記以来、完全にストップしていたブログの更新。
ぼちぼち充電完了している今日この頃。
今日は朝からの雨です☔️
最近のわが家は、マラソン大会の自主練をし始めた三女が1番に起きてきて、早くから活動を始めています。
それに付き合って早起きしているのはパパさんです👨
今日は雨だ!ということで、いそいそとベッドに逆戻りの2人。
寝ていたいのを堪えて毎日頑張ってるのね〜
三女もなかなかストイックです。
一昨日だったか、急に、自分は習いごとをいっぱいしてるので、馬鹿になるんかな?そんな気がする と言うので、少し考えさせられました。
でも、親がしなさいと言ってさせていることは何もなくて、あくまでも 三女自身がしたいと言うことしか していない筈なので。
嫌になったなら やめればいい。何か不安になっているのなら お休みすればいい。それだけのことなのですが。やめるとなると、それはもっと嫌な様子。
そういう現実的な所を求めてるんじゃないんだな〜ということがわかったので、不安の種の方を直接触れることにしました。
「そうやね〜。何かをしているから、賢くなるとか、すごい上手になるって言うことはないんやろね〜。 習字もピアノも、先生の言われたようにしていれば、ある程度は出来るようにはなるんやろうけどね。何でもそうやけど、どんなけ一生懸命やったか、自分から進んでやれるか が 大事で、 言われたことを言われた時にだけ 何も考えずにただボーっとしているなら、馬鹿にもなるかもしれへんね」
本当は、馬鹿になりたくなくて一生懸命やるんじゃなくて、◯◯が上達したい!という気持ちで、真っ直ぐ捉えてもらえたらいいのですが。
小学2年生の今の段階では、まだその言葉の表裏には言及しないで、本人の自尊心や自己肯定感をただただ守っていきたいと思います。
それがいずれ真っ直ぐ向き合える根になっていくとも、自分ははじめから馬鹿だったと気付き、馬鹿な自分をも肯定することができるようになる力になるとも思っています。
で。前置きの方が長くなりそうな勢いですが(笑)
今日の本題は「嬉しいこと」
うちの会社に、長女の友人が 正社員として働きに来てくれることになりました。
以前から 土木業界の人手不足の問題があり、現在は自衛隊の中で土木業務に従事している娘や娘の同僚にも勧誘はしていたのですが。
(自衛隊の中には任期が満了したら、一般企業に就職をお世話するシステムがあります)
今回はそこからの紹介ではなく、地元の友達伝いのご縁です。
でもまさか娘の縁者が来てくれるようになるなんて、本当にそんなことが現実になるなんて、にわかには信じられませんでしたが、事がちゃんと動き出していることに、ご縁があったことに、感謝をするばかりです。
大切にお預かりしたいと思います。
マレーシア旅行記7 むすび
前回マレーシア旅行記6 - ココロにツバサ属からの続きです。
最初から読みたい方はこちら マレーシア旅行記 - ココロにツバサ属
ランカウイ3日目🇲🇾🇲🇾🇲🇾
とうとう最終日になりました。日本に帰る日です。
朝から最後にひと泳ぎをして、ホテルをチェックアウト。
最後にホテルのすぐ近くにあるランカウイのシンボリックな場所「ワシの広場」に立ち寄りました。
遠目に見ても、迫力のあるワシの姿が確認できます。
ずずっと近付くにつれて、スケールをひしひしと感じ、圧倒されました。
正面から見ると、我々がカヤックの時に見たワシと同じワシ(シロガシラトビ)ということがわかりました。
このワシが分類学的に見てワシなのかどうかはともかくとして、名実ともにランカウイのシンボルであるワシをランカウイにおいて見ることが出来たことに、改めて嬉しく感謝をしました。
たくさんのことがあった7日間でしたが、また行くための楽しみも可能性も残しつつ、振り返ると夢のように過ぎて行った泡沫の時間は、不確かなようでも、共通の思い出という形や感じたことという色付けを通して、残って行くのだと思います。
初めてのマレーシアはドキドキの連続でしたが、関わる人が暖かく、自国や家族や友達を何より愛しているのだな、と感じることが多く、とても暖かい気持ちになりました。優しい気持ちをたくさんいただきました。
今回の経験を通して、子どもが何をどう感じているかはわかりませんが、三女は夏休みの宿題の一つとして、市の「図書館を使った調べものコンクール」に挑戦しました。必ずしなくてはならない宿題ではなく、任意でOKの宿題です。
図書館でたくさん本を借りてきて、国旗について、お金について、言葉について、食べ物について、町について、ツインタワーについての6点について 調べてることを、三女と相談しながら決めました。本から得た情報による事前の下調べをし、メモをとり、事後の気付きや感想などを加えて、レポートにまとめるという作業が必要でした。
たった6点のことでしたが、それぞれの項目で予想を立てたり、その結果どうだったかということも触れたりしていると、結構なボリュームになってきて、小学2年生にはかなり根気の要る作業だったと思います。
途中で嫌になって放り出そうとしたりする時もありましたが、そんな時は文字から離れて挿絵を描いたりと気分転換をしながら、のべ2週間ほど費やして、出来上がった時の嬉しさ、達成感はひとしおだったのではないかと思います。
親の方も自己満足ながらに、この機会のありがたさを、少しでもこのような形で残すことの出来る喜びに満たされ、今後の糧になっていくことを願いました。
これらのキッカケをいただいたガールスカウトと夫の理解と協力に感謝して、この経験をこれからまたどのように還元していけるか、考えていきたいと思います。
マレーシア旅行記6
前回マレーシア旅行記5 - ココロにツバサ属からの続きです。
最初から読みたい方はこちらマレーシア旅行記 - ココロにツバサ属からどうぞ。
ランカウイ2日目🇲🇾
この日は朝からのんびりの日。
マレーシアへ来てから、毎日が慌ただしくて、充実はしていたものの、息つく暇もないような行程だったので、ここへ来てようやくの骨休めが出来ました。
子どもはと言うと 元気なもので、プールでまだまだ遊びたい。
午前中はゆったりと、それぞれの好きなことをして過ごしました。
お昼からは車でケーブルカーへ。
ホテルから島のちょうど反対側にあたる場所。
ランカウイは車で1周するのに2時間というランカウイ倶楽部さんで仕入れた情報を元に、行きと帰りで反対側の道を通って島を1周してみることにしました。
ランカウイのローカルな景色はこれぞ南国という雰囲気に溢れています🏝
素朴な生活感が滲み出ているこの街は、何だかとても落ち着く場所です。
ケーブルカーに着いたら、まず目に付いたのはたくさんのタクシーの運転手達。色んなタイプの車と運転手がいるのがわかります。それと同時にランカウイの観光文化、タクシー文化を垣間見たような気がしました。
吊り橋を通って中に入ると、そこはテーマパークのようになっていました。
ディズニーシーを彷彿とさせます。
ここでランチをいただいて、ケーブルカーへ乗車。
広大な緑を一望しながら少しずつ上へ。
もしかしたらまたワシが見れるんじゃないかとワクワクしている我々でしたが、上へ上がるにつれてその期待は絶望的であるのに気付かされました。
曇り空の下に広がる濃い霧。下も上も何も見えません😅
展望台にたどり着くも、前まで来ても階段を上って台から見てみようという気さえ起きないような真っ白の世界。
家族は白けてしまいましたが、私は諦め悪く、1人上へと行ってみました。
すると、どうでしょう。風がさあっと吹いて、上からは島の片鱗が見えました。
急いで家族を呼びましたが、時既に遅く、上がってきた時にはまた霧に包まれてしまっていました。
展望台には各方角毎にサインがかかっていました。晴れてさえいれば、目の前の景色と照らしながら、とても良い学びになっていたのではないかと思います。
「東南アジアの最も古い岩、最古の岩石形成、550万年前のもの」というようなことが、カンブリアンジオフォレストパークの説明として書かれているようです。
わかりやすく直感的なこのサインはユニバーサルデザインの一つだと感じました。
ケーブルカーの他に、3Dシアターや3Dアートミュージアムなども回れるフリーパス券だったので、展望台を降りてから、それらも覗きに回りました。
3Dアートシアターは、日本で足を運ぶことはほとんどなかったので、久しぶりに体験することになり、技術革新の素晴らしさに驚きました。というか、マレーシアの3D技術がすごいのでしょうか。わかりませんが、あまりにすごい迫力と臨場感で、しまいには眩暈がして、いつの間にか落ちてしまった私がいました。疲れていたのかもしれませんが(笑)子どもに起こされた時には終わった後で、「お母さん、こんな中でも寝れるなんて信じられへん」と言われましたが、私からするとこんなに激しい中で普通にいてられる方が信じられないのです。意外とデリケートなんだな、私。と思いました。子どもの考えでは反対のようですが(笑)
3Dアートミュージアムを出た時にはしっかり雨が降っていて、水たまりが出来ていたので、もう一つのアトラクションのアートレックスには行かずに、しばらく屋根の下でショッピングを楽しみました。気付けばすっかり夕方になっていたので、店じまいが始まっていました。
そこを出てから、週2回開催されるというナイトマーケットに向かって車を走らせました。とても楽しみにしていたことですが、この雨でも開催されるのかな?と一抹の不安を抱きつつ。該当場所と思わしき所へ到着するも、それらしい雰囲気は感じられません。そこら中を何度も行ったり来たりしましたが、車の窓には暗さと雨が降りつけるばかりでした。
仕方なく、そこから近いショッピングモールで夕飯をとりました。モールの1Fにはスーパーが入っていたので、SとAが教えてくれたように、そこで沢山のチョコレートを買いました。後からわかったことですが、ランカウイは島全体が免税とのことで、とてもお得な買い物が出来たのでした。
こんな感じでマレーシア最後の夜が幕を閉じました。
マレーシア旅行記7むすびマレーシア旅行記7 むすび - ココロにツバサ属 に続きます。
マレーシア旅行記5
前回からの続きマレーシア旅行記4 - ココロにツバサ属です。
最初から読みたい人はこちらマレーシア旅行記 - ココロにツバサ属から。
ランカウイ1日目🇲🇾
この日はクアラルンプールからランカウイ島へ移動の日。
KLIA空港から国内線で移動しました✈️
ランカウイ島は車で一周回るのにおよそ2時間という小さな島です。タクシー移動が便利ですが、動きやすい方がいいということでレンタカーを手配しました。
ランカウイの街並みは、大都会のクアラルンプールとは正反対で、とてものどかでカントリーな海辺の顔。雰囲気が似ている沖縄や和歌山の街並みを思い出したりしました。
ホテルに着いてウェルカムドリンクをいただき、ホテル内を散策してから、チェックインをして、これから参加するアクティビティの用意。
まもなくやって来たお迎えのバスに乗り、出発です。
ランカウイ島にはとても豊かな自然があり、島全体がナショナルジオパークとして東南アジアで初めて認定された場所。ランカウイには遥か5億5000万年前の地層が残っているそうです。そのことから、諸説はあるそうですが、マレーシアのマングローブ林の種子が波で運ばれて、今の沖縄などに辿り着いたという説は説得力があるなあと思いました。
この日、各ホテルでピックアップされたツアー参加者は日本人のみ。このツアーを主催されている方も日本の方でした。
ランカウイ倶楽部さん
日本人経営のランカウイ倶楽部|マレーシア・ランカウイ島に、触れる
でお世話になりました。
大人だけなら少々危険でも、注意喚起の言葉がわからなくても、何とかなるかもしれませんが、小さい子どもと一緒のアクティビティでは日本語がありがたく、不安が少なかったのが良かったです。
集合場所で説明を受け、ライフジャケットを着て、ボートに乗り込み、川の上に浮かぶフロートの小屋まで移動。なかなか高速のボートは、ぐんぐん風を切って進みます。
小屋に着いてから、ウェットスーツに着替えました。
小屋の対岸には、ちょうど日本で話題になっていたコツメカワウソの家族の生態が見えました。
そこからまたボートに乗り込み、カヤックに乗り込みやすい場所まで移動。
我々家族を含めて12名の参加者の全員が経験者ということで、講習はそこそこに、経験による慢心を戒めてから、本番がスタートしました。
カヤックを漕ぎ始めてすぐに、体長2ⅿくらいの大トカゲに出会いました。
大きくてワニのようなトカゲ。手を伸ばせば届きそうな所にいました。
マングローブの川は、緑色が深いほど栄養(微生物)がたくさん含まれているということで、この深い緑の色が生物多様性の源なのだ、ということでした。
写真に捕らえることは出来ませんでしたが、あちらこちらでカニクイザルの気配を感じます。
カヤックであちこちの気配を感じているうちに、頭の上にランカウイ島のシンボルのワシ(シロガシラトビ)が飛んできました。
写真ブレブレですが、貴重な1枚です。
そしてタイミング良く飛び立つ所も写真に捕らえることが出来ました。
この後、カワセミも姿を見せてくれました。
そろそろカヤックを漕ぐ手も少し疲れてきた頃に、嬉しいおやつタイムがありました。餃子の皮のようなものに甘い餡を包んで揚げてある、マレーシアの伝統的なお菓子(本来のものはスパイスの効いた甘くない餡が入っているそうです)とチャイをいただき、ほっこりしました。
その後は洞窟タイムに出かけました。カヤックからボートに乗り換えて、一同で洞窟へ。ぬるぬると滑る岩場をそろそろと歩きながら、洞窟の入り口へ。
恐る恐る奥へと入っていくと、途中でほふく前進で通らないと先へ進めない、狭くて細くて暗い穴がありました。もそもそもそと這いつくばってそこを通りました。洞窟タイム自体を聞いてないよ!というわが家のメンバーには、聞くもの見るものワクワクドキドキの連続です。暗い穴に入ってからは、コウモリとの記念撮影をしました。残念ながらわが家のカメラにはコウモリと三女(8歳)の姿は残っていませんでしたが、そこには確かにたくさんのコウモリがいました。
そこを出てから、すっかり日が落ちかけている森の中をボートはぐんぐん進みます。少し広い所まで出てから、さあ、飛び込んでいいよと、ランカウイ倶楽部のお兄さん(笑)コウモリとの記念撮影は嫌がって遠慮した三女に、飛び込む?と聞くと、「お母さんが飛び込んだら飛び込むわ」と言われ、川へダイブ。三女はいつものように私で試して大丈夫と確信したのか、続いて飛び込んできました。夫も飛び込み、次女(14歳)を待ちましたが、次女はNOということで、飛び込みませんでした。
飛び込んでみると、そこは温かくて塩っぽく(河口の近くなので海の水が流入するため)川というより海というより、温泉に近いものを感じました。思いがけないリラックスタイムです。心身ともに自然に還ったひとときでした。
小屋に戻った頃には日が完全に落ちて真っ暗になっていました。小屋ではお料理が用意されていて、我々が着替えている間に続々とテーブルに運ばれてきました。そこで参加者の皆様としばしの交流タイム。ランカウイの興味深い話が飛び交っていました。
ランカウイは島全体が免税なので、お酒などがかなりお安く、お酒が好きな我々はそれでランカウイにしたというご家庭もあり、趣向も色々だなあと感じました。
中でもガイドのお兄さんのお話は、ランカウイを心から愛しているのだな、と感じられる内容で、いつからこの仕事をされているのか、ランカウイの何処に魅力を感じているのか、など、ド直球な質問を矢継ぎ早に繰り出してしまわずにはいられませんでした。
お兄さんの人柄に惹かれてか、10年くらい毎年リピーターとしてランカウイを訪れているというご夫婦もいました。その中でも今日はひときわ多くの生物が見られた日だったこともわかりました。
ランカウイにどっしりと根を張り、現地の人とがっぷりと組んで、現地の雇用を生み出しながら、日本人にも還元をしているお兄さん。とてもステキな方だと感じました。
あっという間に時間は過ぎ、雨上りの空には満点の星が見えました。
帰りのボートでは水しぶきが跳ね返っては夜光虫がキラキラと青白く光って見えました。夜光虫というのは栄養がたっぷりの川や海にいるプランクトンの一種ということでした。
マレーシアに来てから毎日が非日常でしたが、この日はとりわけ日毎に退化している感覚野を刺激された日になりました。
マレーシア旅行記6マレーシア旅行記6 - ココロにツバサ属へ続きます。
マレーシア旅行記4
マレーシア旅行記3マレーシア旅行記3 - ココロにツバサ属からの続きです。
1と2はこちらです。
マレーシア4日目🇲🇾
ホテルでは 例のコーランの音は聞こえてきませんでした。
建物の造り的なことでそうだったのか、地区によっての違いでそうだったのかは、わかりません。
この日は朝1番から、Nがホテルに迎えに来てくれました。
この日、夫は一人でゆっくりするからと、別々に行動しました。
私は気兼ねなく子どもとNとの行動。
気兼ねなくと言っても結婚式の翌日のこと。Nは新郎の母として、きっと大変だったはずでした。
その中で我々のガイドを申し出てくれたことは、本当にありがたいことだと感じています。
この日はNの運転で長距離のドライブ。
途中で青少年団体の持ち物だろうキャンプ場に立ち寄りました。庭師の方がお庭の管理をされていました。
青々とした芝生が眩しいほどにキラキラしていました。ここで日本の子ども達とマレーシアの子ども達が一緒にキャンプをすることが出来たらどんなに素敵でしょう。そんな妄想を浮かべながら。
料理も出来るしテントも張れるし、テントも貸すけど、寝るには暑いから、ロッジを使う方がいいよ、とN。
自由に使ってくれたらいいと言ってくれました。なんて嬉しい言葉でしょう。
私の妄想が少し現実味を帯びてくる言葉でした。
そこを出てから、車はハイウェイをぐんぐん進んで行きます。
マレーシアは、とても緑の豊かな国です。空港に着陸する時から、青々とした大地が目には見えていましたが、実際にその中を車で走ると、圧倒的なスケールに驚かされました。
延々と続くヤシの森。
日本では、まとまった緑は山地に多く、逆を言えば平地はほとんど住宅地として切り拓かれていたりするわけですが
マレーシアでは、平地に、一つの市町村くらいのボリュームの緑がまとまって存在します。
一つの発展した町からまた隣町へ行くのにはハイウェイで繋がっていて、そのハイウェイの辺りには豊富な緑が存在している。言い換えれば町と町を緑の橋が繋いでいる。そのような印象を受けました。
町と町との存在が、緑の緩衝材によって、余裕があるようにも感じられました。
日本で同じことは まず出来ないことなので、この貴重な ゆとりのある深い森を、大事にしていってもらいたいと願わずにはいられませんでした。
そうこうしている間に車はブキッマラワティに到着。
駐車場に車を停めて、往復のチケットを買ってバスで丘の上へ。
そこは太平洋戦争の戦場になった場所だそうで、海の見える美しい見晴らしにそぐわない大砲があちらこちらに見えました。
この丘には人懐こいシルバーリーフモンキーの群れがいて、訪れる人を楽しませてくれていました。
シルバーリーフモンキーの赤ちゃんは親と色が全然違い、とても鮮やかなオレンジ色をしていました。
その場で売られている三度豆やピーナツを、娘は最初は恐々、慣れてくると上手に、手渡しであげていました。
資料館では歴史的な背景を学ぶことができました。
マレーシアでのスルタンの存在がいかに大きいものであるか、人々の深い心の中に刻まれているのだな、ということを感じる場所でした。
丘の上の散策を一通り満喫してバス乗り場へ。麓まで戻り、ローカルレストランでの昼食。日本で言う食堂みたいなお店で、並んでいる料理から好きなものを選んで取ります。
どんな物が出てくるかわからないよりは、このシステムはわかりやすくていいなあと感じました。
私はナスのカレーのようなおかずと貝の料理をいただきました。
子どもはチキンを選んでいましたが、辛くて食べられませんでした。
帰り道では露店に寄り道して、シーココナツのジュースや、バナナやマンゴスチン、ライチに似たランブータンなどのフルーツをたくさん買い、我々にも持たせてくれました。
この日は長い時間をNと車の中で過ごしたので、ゆっくりゆっくりではありましたが、しっかり腰を据えてじっくりと話をすることが出来ました。それが何より嬉しい時間だったと感じています。
ホテルに戻る前にお祈りの時間があったので、途中でNの家にも立ち寄りました。
次回マレーシアに来る時にはうちに来てねとありがたいお言葉もいただきました。
別れを惜しみながらNに感謝をし、ホテルに戻った時には夕方でした。
自由を満喫していた夫と合流。子どもはプールで少し泳いでから、いよいよ楽しみにしていたペトロナスツインタワーへ。
昼間に近くまで散歩に出ていたという夫について歩いて行くことになりました。頭の上には黒い雲が来ていました。10分くらいのことだから、大丈夫かな〜 などと思いながら。
マレーシアに来てから1日に1度は必ず訪れていたスコールです。
マレーシアはとても暑い国ではありますが、それはお日様が差している時に限られました。
曇っていたり雨が降ると ぐっと気温が下がるので、暑さを感じさせられないのと、店内や車内はクーラーがガンガンに効いているため、羽織るものが重宝しました。
そのため 相対的にはマレーシアの暑さを感じることは多くはありせんでした。
この時は歩きだったので、初めてのスコールでの足止めでした。ツインタワーはもう目前でしたが、雷を伴う激しい雨を前に、我々にはそれ以上一歩も進むことはできませんでした。小一時間くらいは緊急避難したお店の軒下にいたでしょうか。動けるようになった頃にはすっかり日が落ちていました。
急いでチケット売り場へ行きましたが、残念ながらSOLD OUTということでした。
こうなることが最初からわかっていたら、前売券を買っいたのですが。残念というより他なりませんが、入れないものは入れない。
また次回の楽しみは残しておきなさい、ということだな と受け止めました。
旅行記5マレーシア旅行記5 - ココロにツバサ属へ続きます。
マレーシア旅行記3
前回からの旅行記2マレーシア旅行記2 - ココロにツバサ属からの続きです。
旅行記1はこちらですマレーシア旅行記 - ココロにツバサ属
マレーシア3日目🇲🇾🇲🇾🇲🇾
この日は友人の家からホテルに移る日でした。
作ってもらった朝ご飯をありがたくいただきました。
この頃には聞こえてくるコーランに違和感はほとんどなくなっていました。
荷物をまとめて、おうちでの最初で最後の記念撮影。
可愛いネコちゃんも一緒に写ってくれました🐈
本当なら4匹の猫ちゃんがいるおうちなのです🐈🐈🐈🐈
1匹の猫ちゃんは我々の前によく出て来てくれて顔を見せてくれましたが、もう1匹の猫ちゃんはほとんど姿を現しません。
後の2匹はというと、何と、我々が来るからということで、ペットのホテルにお泊りに行っていたのでした。
2日目の合間に少し顔を見に立ち寄ったのですが、可愛いネコちゃん達に申し訳ないやら、友人のさりげない気遣いが有難いやら。
かけがえのない思い出と感謝を胸に、友人の家を後にしました。
この日はもう一人の友人Nの長男の結婚式があり、我々家族も招待をしていただいていました。
Sが結婚式の参列用にと、私の着るマレーシアの伝統衣装を用意していてくれていました。
たくさんの思いの詰まった衣装にドキドキしながら袖を通しました。鏡で見てみると、イメージと何かが違います。そうか。ヒジャブがないんだ……これでいいの???
こんなによく気のつく彼女が、ヒジャブだけ用意を忘れるなんてこと、あるはずがありません。ということは…
私は、最後までヒジャブも被りたいとは言いませんでした。
彼女も衣装がよく似合うと嬉しそうに言ってくれて、後は何も言いませんでした。
その衣装に身を包んで、S夫婦とブキッビンタンへ。
式場のロビーにいたNと再会、家族や親族を紹介してもらい、我々もご挨拶。
そうこうしている間に式が始まるのか、親族と一緒に会場の中へ入る列に並びました。
マレーシアの結婚式は日本の結婚式と違うことがたくさんあって、驚きの連続でした。
既に始まっていたらしい披露宴会場に、新郎新婦ならぬ親族の入場という状況に、少し面食らいながら。用意してくれていた席がまた家族の席で。Nの長女やご主人さんと子どもたち、Nの二男と同じテーブルで、申し訳ないやらありがたいやら。
その状況がもう、日本の披露宴では考えられないような構図でしたが、Sの話を聞くと、私の想像では遥かに及ばないスケールの話なのでした。
何でもマレーシアの結婚式は、一般的に1000人規模での来賓があるそうです。それだけでも驚きなのですが、なんと、新郎側での披露宴が1回、1カ月くらい後に新婦側でまた1回、合計2回のべ2000人の来賓が足を運ぶそうです。
だからマレーシアの結婚式は大変なんだよ、とのことでした。
日本との違いの多さに驚きながらも、直後にはわが身をもって違いを知ることになるとも思っていませんでした。
円卓に出されているマレーシア料理を一通りいただいた頃、Sが、用意しているお祝いを新郎新婦に渡しに行こうと言ってくれました。
教えてもらっていたお祝いの言葉をマレー語で伝えます。お決まりの記念撮影もしていただいて。ひとときの幸せの時間をお裾分けいただたいて。胸いっぱいで席に戻って座ろうとすると、さあ帰ろうとS。
何を言っているのか、わかりません😆
ん???結婚式はまだ終わらないよね???
何時までだったかな???と私。
結婚式に行ってからは、ホテルで休みたいって言ってたよね??と、いやいや、私の方が何言ってるかわからないよ、と言わんばかりのS。
うん、たしかにそれは言いましたけど。。。
さあ帰るよとS。
ちょっ、結婚式の途中で帰るとか、あり得ないんですけど😂しかもまだ始まったばかり😓💦
私も夫もよく事情を飲み込めないまま、家族で式場を後に。
車に乗るまでの間、周りをよく見ていると我々と同じように途中で帰る人がいることがわかりました。
また、我々と入れ違いに入って行く人もいて。
服装も、正装の人もいれば、本当にラフな普段着ぽい人もいたりして。
そのスタイルの自由さに、目からウロコがポロポロと落ちることたくさん。
これぞ異文化を体験したありがたい機会でした。
S夫婦にブキッビンタンのホテルへ送ってもらい、感謝を伝え 再会を誓って、しばしのお別れ。マレーシアを楽しんで🇲🇾と言ってくれました。
思っていたよりかなり早くホテルの部屋に着いた我々。降って湧いたような時間。子どもは「プールに入りたーい🏊♀️」それいいね〜
思いがけないプールタイムを満喫した後は、タクシーでアロー通りへ。
中華料理やタイ料理など、たくさんの屋台が立ち並ぶストリートです。ドリアンの匂いが時折何処からともなくやって来ます。
端から端まで一通り歩いてから、入るお店を決めて、食べることにしました。
中華料理のお店に座り、マレーシアに来てから初めてのアルコールも注文しました。
マレーシアでは、両隣のタイとシンガポールのみならず、中国やインドの食文化が混ざり合っていることを至る所で感じました。そして英国の紅茶の文化なども広く深く根ざしていることを感じました。また、電化製品や自動車などは日本製品や韓国製品など、町では日本企業の看板もたくさん目にしたり。多様性に富んでいることを強く感じました。
歩いてホテルへ帰る道中、ヘナでタトゥーを描いてくれる屋台がありました。2週間で消えるということ。花嫁さんの綺麗な手を見た所だったので、迷わず描いてもらうことにしました。
旅行記4マレーシア旅行記4 - ココロにツバサ属へ続きます。
マレーシア旅行記2
前回のマレーシア旅行記マレーシア旅行記 - ココロにツバサ属からの続きです。
マレーシア2日目
朝の早くから聞こえてくる遠くの方で鳴り響く音。
1日目の夜にも聞こえていた音。
日本の盆踊りのときの、この辺りで言うと河内音頭みたいな感じの歌のようなマイクごしの声。
今日はお祭なのかな?と感じていたのですが、その音が朝1番からまた聞こえてきます。
疲れて寝てしまって気にならなかっただけで、もしかして夜通しお祭してたのかな?朝まで?
などとぼんやり考えながらSが作ってくれた朝ご飯をありがたくいただきました。
ご飯を食べ終わる頃には例の音はしなくなっていたのだと思います。
その後、Sの旦那さんの運転でたくさんの所へと案内していただきました🚘
まず1番には、あらかじめ唯一お願いしてあった青少年団体のオフィスに連れて行ってくれました。日本の子ども達のお土産にマレーシアのオリジナルグッズを手に入れ、オフィスの前で記念撮影をしました。
オフィスの上はユースホステルになっていました。
そこを出てからお次はクアラルンプールへ。オールドタウンを散策しました。
マレーシアへ着いてから感じていたことの一つに、至る所に国旗が掲げられていることがありました🇲🇾🇲🇾🇲🇾🇲🇾🇲🇾
何でも8月末にマレーシアの独立記念日があるからだそうで、ムルデカ・スクエア(独立広場)では、そのための舞台が組まれたりして、着々と準備を進めているようでした。
写真はムルデカ・スクエアの前にあるスルタン・アブドゥル・サマド・ビルです。
この辺りには国立モスクや🕌白亜のクアラルンプール駅などもあり、見どころ満載でした。
写真は図書館です。
セントラルマーケットにも立ち寄り、お昼ご飯と買い物をしました。
見た目も味も焼きそばに近いお料理をいただきました。普通に美味しかったです。
白い幼虫みたいなものが入っているのはライチのフレッシュジュースです。
セントラルマーケットでは一つ驚いたことがありました。それはトイレが有料だったことでした。5セント(15円くらい)で、価格は高いものではありませんでしたが、お金を払うと紙をくれました。紙代なのか、使用料なのか…いずれにせよ これを皮切りに、この後も何ヶ所かで有料のトイレがありました。綺麗なトイレばかりだったので、メンテナンス料なのか意識付けなのかもしれません。
その後はKLタワーに上り、クアラルンプールを上から見渡しました。
下へ下りてから、逆さまハウスにて子ども達のお楽しみタイムを設けてくれました。
家の中も一つ一つの部屋の全てが天地が反対で、写真に撮ってひっくり返すと忍者になったみたいで面白かったです。
それから、私の忘れ物を引き取りに再びKLIA(クアラルンプール国際空港)へ🛬
パスポートと荷物の番号チケットを持ってくるように言われていましたが、それがかなり大変なことだとは考えてもいませんでした。
まずはSと待ち合わせ場所を決め、Sはここで待ってるから と言います。…何故に待ち合わせ?
何故かはわからないまま、警備室らしき所へ。話は全てマレー語のため、英語も怪しい私は完全に蚊帳の外。間でパスポートを渡して荷物のチケットを見せたくらいで、パスポートと引き換えに首からぶら下げる裏側を通るための通行証を渡されました。
そこからまた移動して裏口用の手荷物検査場(らしき所)の入り口でSとお別れ。この時点でまだ事情がよく飲み込めていない私。
ん?これから私どうするんだ?😅
ここでやっと冷静に我が事として脳が活動し始める(遅い)
私はどうやら一時仮出国状態のようだ。そしてどう考えても、荷物を取りに行かないといけない。Sの最後の指示はゴーストレートだった。
とにかく手荷物の検査をして、昨日のバゲージが流れ出てきた所を通り過ぎ、不安に駆られながらもとにかくゴーストレート。
そしたら見えてきたマレーシア航空のオフィス。ホッとしたのも束の間、今度は何故ここに来たかを自分で説明しなくてはならない。 心は身構えるが、荷物チケットを見せるとすぐに対応してくれて、事なきを得る。
荷物を受け取り、首からかかっている札をチラつかせて入国審査をしれっと通り過ぎ、Sとの待ち合わせ場所へ。
今から考えると どうという事もないようなことだけど、言葉の通じない場所で置かれている状況が見えるのに時間がかかり、不安が広がった。これが単なる家族旅行であれば、荷物を引き取りに来るなんてことは思いつくことも出来ずに、きっと諦めてしまっていただろう。とても良い経験をさせてもらいました。ここで学んだことは、今後日本へ来た外国人の方にいつか返したいです。
この件を通してSの一連のスマートなフォローが出来る心遣いに、また更に彼女のことを尊敬するようになりました。
夜はマレーシア流のお鍋をいただき、プトラジャヤを散策しました。
装飾した自転車を漕いだり、シャボン玉をしたり、子どもと一緒に楽しみました。
そして、この日もまた例の音が聞こえてきました。
でもこの日1日S夫婦と一緒に過ごしていると、彼らが日本に来ていたときのことを思い出しました。彼はとてもあつい信仰心の持ち主でした。そして国中でその信仰心を大事にしているのだとわかりました。Sの夫のAに確認すると、聞こえていたのはやはりコーランだったようです。
旅行記3へマレーシア旅行記3 - ココロにツバサ属続きます。