ココロにツバサ属

日々感じたことを とりとめもなく

マレーシア旅行記3

前回からの旅行記2マレーシア旅行記2 - ココロにツバサ属からの続きです。

 

旅行記1はこちらですマレーシア旅行記 - ココロにツバサ属

 

マレーシア3日目🇲🇾🇲🇾🇲🇾

 

 この日は友人の家からホテルに移る日でした。

作ってもらった朝ご飯をありがたくいただきました。

この頃には聞こえてくるコーランに違和感はほとんどなくなっていました。

 

荷物をまとめて、おうちでの最初で最後の記念撮影。

可愛いネコちゃんも一緒に写ってくれました🐈

 

本当なら4匹の猫ちゃんがいるおうちなのです🐈🐈🐈🐈

1匹の猫ちゃんは我々の前によく出て来てくれて顔を見せてくれましたが、もう1匹の猫ちゃんはほとんど姿を現しません。

後の2匹はというと、何と、我々が来るからということで、ペットのホテルにお泊りに行っていたのでした。

2日目の合間に少し顔を見に立ち寄ったのですが、可愛いネコちゃん達に申し訳ないやら、友人のさりげない気遣いが有難いやら。

かけがえのない思い出と感謝を胸に、友人の家を後にしました。

 

この日はもう一人の友人Nの長男の結婚式があり、我々家族も招待をしていただいていました。

Sが結婚式の参列用にと、私の着るマレーシアの伝統衣装を用意していてくれていました。

たくさんの思いの詰まった衣装にドキドキしながら袖を通しました。鏡で見てみると、イメージと何かが違います。そうか。ヒジャブがないんだ……これでいいの???

こんなによく気のつく彼女が、ヒジャブだけ用意を忘れるなんてこと、あるはずがありません。ということは…

私は、最後までヒジャブも被りたいとは言いませんでした。

彼女も衣装がよく似合うと嬉しそうに言ってくれて、後は何も言いませんでした。

 

その衣装に身を包んで、S夫婦とブキッビンタンへ。

式場のロビーにいたNと再会、家族や親族を紹介してもらい、我々もご挨拶。

そうこうしている間に式が始まるのか、親族と一緒に会場の中へ入る列に並びました。

マレーシアの結婚式は日本の結婚式と違うことがたくさんあって、驚きの連続でした。

 

既に始まっていたらしい披露宴会場に、新郎新婦ならぬ親族の入場という状況に、少し面食らいながら。用意してくれていた席がまた家族の席で。Nの長女やご主人さんと子どもたち、Nの二男と同じテーブルで、申し訳ないやらありがたいやら。

 

その状況がもう、日本の披露宴では考えられないような構図でしたが、Sの話を聞くと、私の想像では遥かに及ばないスケールの話なのでした。

 

何でもマレーシアの結婚式は、一般的に1000人規模での来賓があるそうです。それだけでも驚きなのですが、なんと、新郎側での披露宴が1回、1カ月くらい後に新婦側でまた1回、合計2回のべ2000人の来賓が足を運ぶそうです。

だからマレーシアの結婚式は大変なんだよ、とのことでした。

 

日本との違いの多さに驚きながらも、直後にはわが身をもって違いを知ることになるとも思っていませんでした。

円卓に出されているマレーシア料理を一通りいただいた頃、Sが、用意しているお祝いを新郎新婦に渡しに行こうと言ってくれました。

教えてもらっていたお祝いの言葉をマレー語で伝えます。お決まりの記念撮影もしていただいて。ひとときの幸せの時間をお裾分けいただたいて。胸いっぱいで席に戻って座ろうとすると、さあ帰ろうとS。

 

何を言っているのか、わかりません😆

ん???結婚式はまだ終わらないよね???

何時までだったかな???と私。

結婚式に行ってからは、ホテルで休みたいって言ってたよね??と、いやいや、私の方が何言ってるかわからないよ、と言わんばかりのS。

うん、たしかにそれは言いましたけど。。。

 

さあ帰るよとS。

ちょっ、結婚式の途中で帰るとか、あり得ないんですけど😂しかもまだ始まったばかり😓💦

私も夫もよく事情を飲み込めないまま、家族で式場を後に。

車に乗るまでの間、周りをよく見ていると我々と同じように途中で帰る人がいることがわかりました。

また、我々と入れ違いに入って行く人もいて。

服装も、正装の人もいれば、本当にラフな普段着ぽい人もいたりして。

そのスタイルの自由さに、目からウロコがポロポロと落ちることたくさん。

これぞ異文化を体験したありがたい機会でした。

 

S夫婦にブキッビンタンのホテルへ送ってもらい、感謝を伝え 再会を誓って、しばしのお別れ。マレーシアを楽しんで🇲🇾と言ってくれました。

 

思っていたよりかなり早くホテルの部屋に着いた我々。降って湧いたような時間。子どもは「プールに入りたーい🏊‍♀️」それいいね〜

 

思いがけないプールタイムを満喫した後は、タクシーでアロー通りへ。

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中華料理やタイ料理など、たくさんの屋台が立ち並ぶストリートです。ドリアンの匂いが時折何処からともなくやって来ます。

端から端まで一通り歩いてから、入るお店を決めて、食べることにしました。

中華料理のお店に座り、マレーシアに来てから初めてのアルコールも注文しました。

 

マレーシアでは、両隣のタイとシンガポールのみならず、中国やインドの食文化が混ざり合っていることを至る所で感じました。そして英国の紅茶の文化なども広く深く根ざしていることを感じました。また、電化製品や自動車などは日本製品や韓国製品など、町では日本企業の看板もたくさん目にしたり。多様性に富んでいることを強く感じました。

 

歩いてホテルへ帰る道中、ヘナでタトゥーを描いてくれる屋台がありました。2週間で消えるということ。花嫁さんの綺麗な手を見た所だったので、迷わず描いてもらうことにしました。

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旅行記4マレーシア旅行記4 - ココロにツバサ属へ続きます。

マレーシア旅行記2

前回のマレーシア旅行記マレーシア旅行記 - ココロにツバサ属からの続きです。

 

 マレーシア2日目

朝の早くから聞こえてくる遠くの方で鳴り響く音。

1日目の夜にも聞こえていた音。

日本の盆踊りのときの、この辺りで言うと河内音頭みたいな感じの歌のようなマイクごしの声。

今日はお祭なのかな?と感じていたのですが、その音が朝1番からまた聞こえてきます。

疲れて寝てしまって気にならなかっただけで、もしかして夜通しお祭してたのかな?朝まで?

 

などとぼんやり考えながらSが作ってくれた朝ご飯をありがたくいただきました。

ご飯を食べ終わる頃には例の音はしなくなっていたのだと思います。

 

その後、Sの旦那さんの運転でたくさんの所へと案内していただきました🚘

まず1番には、あらかじめ唯一お願いしてあった青少年団体のオフィスに連れて行ってくれました。日本の子ども達のお土産にマレーシアのオリジナルグッズを手に入れ、オフィスの前で記念撮影をしました。

オフィスの上はユースホステルになっていました。

 

そこを出てからお次はクアラルンプールへ。オールドタウンを散策しました。

マレーシアへ着いてから感じていたことの一つに、至る所に国旗が掲げられていることがありました🇲🇾🇲🇾🇲🇾🇲🇾🇲🇾

何でも8月末にマレーシアの独立記念日があるからだそうで、ムルデカ・スクエア(独立広場)では、そのための舞台が組まれたりして、着々と準備を進めているようでした。

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写真はムルデカ・スクエアの前にあるスルタン・アブドゥル・サマド・ビルです。

この辺りには国立モスクや🕌白亜のクアラルンプール駅などもあり、見どころ満載でした。

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写真は図書館です。

 

セントラルマーケットにも立ち寄り、お昼ご飯と買い物をしました。

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見た目も味も焼きそばに近いお料理をいただきました。普通に美味しかったです。

白い幼虫みたいなものが入っているのはライチのフレッシュジュースです。

 

セントラルマーケットでは一つ驚いたことがありました。それはトイレが有料だったことでした。5セント(15円くらい)で、価格は高いものではありませんでしたが、お金を払うと紙をくれました。紙代なのか、使用料なのか…いずれにせよ これを皮切りに、この後も何ヶ所かで有料のトイレがありました。綺麗なトイレばかりだったので、メンテナンス料なのか意識付けなのかもしれません。

 

その後はKLタワーに上り、クアラルンプールを上から見渡しました。

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下へ下りてから、逆さまハウスにて子ども達のお楽しみタイムを設けてくれました。

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家の中も一つ一つの部屋の全てが天地が反対で、写真に撮ってひっくり返すと忍者になったみたいで面白かったです。

 

それから、私の忘れ物を引き取りに再びKLIA(クアラルンプール国際空港)へ🛬

パスポートと荷物の番号チケットを持ってくるように言われていましたが、それがかなり大変なことだとは考えてもいませんでした。

まずはSと待ち合わせ場所を決め、Sはここで待ってるから と言います。…何故に待ち合わせ?

何故かはわからないまま、警備室らしき所へ。話は全てマレー語のため、英語も怪しい私は完全に蚊帳の外。間でパスポートを渡して荷物のチケットを見せたくらいで、パスポートと引き換えに首からぶら下げる裏側を通るための通行証を渡されました。

そこからまた移動して裏口用の手荷物検査場(らしき所)の入り口でSとお別れ。この時点でまだ事情がよく飲み込めていない私。

ん?これから私どうするんだ?😅

ここでやっと冷静に我が事として脳が活動し始める(遅い)

私はどうやら一時仮出国状態のようだ。そしてどう考えても、荷物を取りに行かないといけない。Sの最後の指示はゴーストレートだった。

とにかく手荷物の検査をして、昨日のバゲージが流れ出てきた所を通り過ぎ、不安に駆られながらもとにかくゴーストレート。

そしたら見えてきたマレーシア航空のオフィス。ホッとしたのも束の間、今度は何故ここに来たかを自分で説明しなくてはならない。 心は身構えるが、荷物チケットを見せるとすぐに対応してくれて、事なきを得る。

荷物を受け取り、首からかかっている札をチラつかせて入国審査をしれっと通り過ぎ、Sとの待ち合わせ場所へ。 

 

今から考えると どうという事もないようなことだけど、言葉の通じない場所で置かれている状況が見えるのに時間がかかり、不安が広がった。これが単なる家族旅行であれば、荷物を引き取りに来るなんてことは思いつくことも出来ずに、きっと諦めてしまっていただろう。とても良い経験をさせてもらいました。ここで学んだことは、今後日本へ来た外国人の方にいつか返したいです。

この件を通してSの一連のスマートなフォローが出来る心遣いに、また更に彼女のことを尊敬するようになりました。

 

夜はマレーシア流のお鍋をいただき、プトラジャヤを散策しました。

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装飾した自転車を漕いだり、シャボン玉をしたり、子どもと一緒に楽しみました。

 

そして、この日もまた例の音が聞こえてきました。

でもこの日1日S夫婦と一緒に過ごしていると、彼らが日本に来ていたときのことを思い出しました。彼はとてもあつい信仰心の持ち主でした。そして国中でその信仰心を大事にしているのだとわかりました。Sの夫のAに確認すると、聞こえていたのはやはりコーランだったようです。

 

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マレーシア旅行記

 今年の夏は初めてのマレーシアに行ってきました🇲🇾

 何故マレーシアだったのか。話せばそれなりに長くなりますが、今まだ抱えている初恋のような甘酸っぱい気持ちを完全に忘れてしまわないうちに、書き残しておこうと思います。

 

 ことの始まりは4年前。所属の青少年団体のアジア太平洋地域会議が日本で開催されました。その時にご縁があり、我が家にステイに来たのがマレーシア代表のSとコミッショナーのNでした🏠そこから私たちの友情が始まりました。

 

 友情の2文字にサラッとまとめるのは簡単なことですが、実際のところ、そんなに容易なことではなかったわけです。そこに辿り着くために、まず夫の説得が必要でした。過去に長女が逆にアメリカでお世話になったこと、次は我々が恩返しをする番だということ。夫は基本的に家に人がいることを好まないタイプで、それを明言することさえ憚らない性格なこともあり、二つ返事とは行かず、最初は難色を示していましたが、熱のこもった説得に根負けをしたのか、ついには首を縦に振ってくれました。

 

 第一の砦を超えたと思ったら、一難去ってまた一難? 実は第一希望にはスリランカからの受け入れを希望していました。同じ仏教徒ということで、通じるところがあるだろうと思ったからです。参加国の中で一番不安を感じないというのが本音でした。第2希望はオーストラリアでした。ところが、決定通知がきたのは、マレーシア。宗教は、イスラム教ということでした。

 

 イスラム教徒である彼女達のことを実際に受け入れるまでには、少なからずの心の葛藤があったことは否めない事実でした。ISと何がどう違うの? ハラルって何?ハラムって? 食事はどうするの??

 

 こうすればいいよ、という明確な答えはないまま、どんどんXデーは近づいてきました。ましてや、英語力も乏しいのです。日が近づくにつれて、楽しみというよりは、不安がどんどん大きくなり、押しつぶされそうになりました。

 

 そのピークを超えてしまうと、もはやスイッチがオフになったのか、元来の楽天的な性格が幸いしたのか、開き直りの私がいました。考えても答えのないものは、仕方がない。きっと、何をしても何処の国であっても100点満点になるなんてことはない。せっかくいただいたご縁なのだから、自分に出来ることを、精いっぱいしよう。それ以外のことはできない。できないことはできない。それは仕方がないのだから。無理はしないでいい。出来ることをすればいい。そんなことを自分に言い聞かせながら、自分に出来得ることを準備して、彼女達の訪問を待ちました。

 

 新大阪までお迎えに行き、彼女達と初対面。良い人たちだ。直観でホッとしました。安心したのも束の間のこと、すぐさま私の前に立ちはだかったのは言葉の壁でした。

 

 戸惑いましたが、何を言っているか、わからないものはわからない。向こうもきっとその状態を悟ったのでしょう。それ以上言葉を選ばずに話しかけてくることはなくなりました。このままは良くないよな、と、ヒシヒシと感じながら。それ以外にはどうすることも出来ない我々の間を空虚な風が流れていました。不幸中の幸いだったのが、2人で来てくれていたことでした。私とのコミュニケーションが円滑に行かなくても、2人で話せるという孤独を回避してもらえる状況を、とてもありがたく感じられました。

 

 そんなこんなで始まった我々の生活。3日間の短い時間でしたが、少しずつ、身振りや手振り、カタコトの単語をつなぎながら、何とかコミュニケーションも取れるようになってきました。色んな場所を案内したり、一つずつできる範囲で説明したり。食べられるものとそうでないもの、食べたいものを聞いたり。そうこうしている間に、少しずつですが、最初は四万十川くらいの幅に感じられていた心の溝が埋まってきて、帰る頃には、ずいぶんと距離が縮まっていることが感じられました。

 

 それをきっかけに英会話サークルに通い始めるようになり。2年後にはマレーシア代表のSが今度は旦那さんと一緒にまた我が家に来てくれました🏠 友情がそういう形で続いていくことは、とても嬉しく喜ばしいことでした。

 

 何教徒であろうが、それは本来の人間性とは直接的には関係のないことで。結局のところ何を信仰していようがいまいが、ダメなことはダメだし、嬉しいことは嬉しいわけで。そんな基本的な部分が共有できるのであれば、距離を縮めて付き合うことが出来るし、逆に同じ人種だろうが宗教だろうが、基本的な部分が共有できない相手ならばしんどいし、距離が生じるのだということ。そんな当たり前のことであっても普段は忘れてしまっているようなことを改めて感じる機会でした。

 

 そんなこんなで今回はついに我々がマレーシアへ行くことになりました。

いつか行きたいなあと思いながら、思っていたよりも早く実現できたことは、一連の関わりを通して夫の理解と協力を得られたということが大きくありました。それほどにS達が魅力的で学ぶことが多くあることを夫も感じていたようです。

一緒に楽しんでくれて、ありがとう。 感謝しています。

 

 ではいよいよ本題へ入っていきたいと思います。

マレーシア1日目。

 

 朝、関空からの出発✈️

 今回の旅はこの時点から既にしくじる私。手荷物検査にて、お土産に用意していた手荷物2つから、化粧水や美容液の液体系を一通りはじき出される。今から考えると当たり前。何か感覚がおかしくなっていたのだろうか。ダメなものはダメ。でもバゲージとしてなら、大丈夫かも?ということで、再度バゲージとして預けに走る。何とか受け付けてもらえたけど、「搭乗が始まっているので、急いでください」とグランドスタッフにアドバイスされ、慌てる。空港にはかなり早く着いて、余裕を持って搭乗するはずだったのだけど。ぎりぎりの滑り込み。やれやれ。

 

 冷や汗をかきながらも夕方にはクアラルンプール国際空港に到着。空港はやはり入国審査が厳しく、指紋認証の機械も設置されていました。ゲートをくぐるとSとNが迎えに来てくれていました。ありがたや。初めての土地を踏みながらも、安心して一歩を踏み出すことができました。

 

 1日目と2日目はSの家に泊めさせてもらうことになっていました。

空港からSの家をつなぐハイウェイの途中にある、道の駅(みたいな所)でマレーシアの伝統料理の「サテ―」をいただきました。

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焼き鳥みたいな串料理で、牛、チキン、魚の3種類をいただきました。味付けは全て同じ、黄色系のスパイスの効いたお味で、ナッツのソースをかけていただきました。私の口にはあったので、けっこうたくさん食べました。夫も子どもも美味しいと言って、それなりに食べていたので、安心しました。

 

 Sの部屋に着いて、シャワールームとトイレの完備されたお部屋に通してもらい、明日の予定を聞いて、お土産を渡しながら、化粧水類がないということに気付きました。空港でバゲージを引き上げるときに、後から追加した分をすっかり忘れていたのでした。やっぱり私。きっちりまたやってしまっている。

 事情を説明して謝ると、Sはすぐさま空港に連絡を入れてくれました。そして明日引き取りに行く段取りもつけてくれました。大丈夫、明日は空港の方向に行こうと思っていたから、ちょうどいいの と言ってもくれました。言葉の通じない環境下でとても頼もしく感じた彼女の素早い対応でした。

 

 旅行記2マレーシア旅行記2 - ココロにツバサ属へと続きます

新学期

 中3次女、今日から新学期が始まりました。

夏休みの間お休みしていたブログですが、またぼちぼちと書いていきたいと思います。

 

 中3次女は、この夏の間に、吹奏楽部のコンクールがありました。

最後のコンクール。結果はみごとに?銅賞でした。

吹奏楽のコンクールは、金銀銅の3種の結果しかありません。

金賞だと上の大会に上がれます。銀賞だとまあまあ頑張ったかな、というところ。

ということは・・・です。

 

 最後のコンクールで結果を出せなかったことは悔しそうでしたが、審査員の先生からは、娘のソロパートに対してお褒めの言葉をいただいたようで、嬉しそうな一面もありました。

 部の引退は9月の体育祭と決まっているので、まだもう少し先の話になります。

 

 昨日は高校の体験入部に行ってきた娘。

その高校に入りたいと決意を固めたようです。

お目当ての部はダンス部です。

買った楽器がもったいないのも さることながら

何より、審査員の先生にも顧問の先生方にもお褒めいただいている、彼女の音楽の技術的な面や音楽的な感性が もったいないな~と

煮え切らないのは親ばかりで、本人はケロっとしたもので。

 

 元々、音楽をしながらダンスもしていた彼女なので、ダンスをしてみたいという気持ちが膨らんできているのも無理はないようにも思います。

どの道を選んだとしても 後悔のないように 懸命にベストを目指してもらいたいものです。

お弁当

夏1番バッターの大きな行事、青少年活動のキャンプを無事に終えました。

夏休みの間中、仕事も夏期休暇を勝手に(笑)取らせていただいている私。

ここへ来て少しゆっくりしています。

 

キャンプは怒涛の3日間。私は装備が甘いのか、よくアブだかブヨだかに刺されてしまいます。

今回もまた3ヶ所を食い破られてしまいました。

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虫よけスプレーもしっかりとしているのに、子ども達を差し置いて、何故だかいつも私の周りをブンブンブンと威嚇的な飛び方をする彼ら。

子ども達には「リーダーのこと好きなんちゃうん〜」などと言われたり 言われなかったり。

それで子ども達に害がないのなら本望ですが。

子ども達が食われていないかが、心配です。

少なくとも一緒に行った三女は食われていなかったため、ホっとしていますが。きっと食われてしまった子もいただろうと思います。

やっぱり野外での生活は厳しいですね。

それを思い知ることが出来るだけでも、かけがえのない原体験だなあと思います。

 

さて。ゆっくりと引き換えに?二女のお弁当作りが始まりました。

キャンプは夫とお留守番で、お勉強ではなく部活に励んだ受験生です(笑)

吹奏楽部のコンクールを目前に、毎日部活に勤しむ彼女。午後からは塾があるため、ギリギリまで部活に参加出来るよう、お弁当を持たせています。

家が近いので、普段は家に帰ってきて食べたりすることが多いのですが。

後方支援のアピールのためにも(笑)お弁当を持たせることにしました。

効果があるかないかは別として、こちらも出来ることの手間暇を惜しむことなく、後悔のないように寄り添いたいと思います。

あー夏休み〜

あっという間に迎えた夏休み。

廃人的な生活を送るはずだった7月は何てことなく仕事と役割に追われていっぱいいっぱいでした。

 

そんなこんなであっと言う間の1学期の総括=個人懇談。

わが家の中3女子の成績はと言えば、そこそこだった中間テストを大幅に下回り、大変なことになっていました。

 

親の目が行き届かないと、覿面にダメダメなわが子ですが。

担任の先生には、高校へ入ってからのことを考えると、自分でしっかりしないと。と、鋭いツッコミをいただきました。

いやはや。仰る通りで。

親というのはどうもこうも少しでも何とか盛ってやろうとする生き物のようで。

でもそれは子のためにはなってないんですよね〜

わかっちゃいるけど。

 

担任の先生に、このままだと志望校は難しいと言われて 幾分か目が覚めたようです。

やる気スイッチがいつまでオンの状態かはわかりませんが、今後も後方支援の見守りに徹していきたいと思います。

自由と切替力と集中力

7月に入りました。

3〜6月の4カ月間を振り返って。

沢山のことがありました。

 

・青少年活動の発表会(台本作成や練習、本番)

・青少年活動の春キャンプ(会計や活動の1年間の総括作業)

・PTAの新体制への移行や引継ぎ(役員選出、新旧役員会、新旧運営委員会、総会など)

・青少年活動の新体制への移行(総会や式典、会議など)

・防災活動の新体制への移行(懇親会や勉強会)

・PTA活動での見守り活動(3〜5月の3カ月間)

・青少年活動での70周年記念式典(事前練習への参加や広報部員としての写真撮影、記念誌の作成など)

・青少年活動での訓練キャンプ(しおりの作成やプログラムの考案、実施など)

・青少年活動での市の後援の防災行事(会議と対外対応)

・PTAによる学校祭の開催(全4回の会議と反省会)

・自然団体による学校での授業開催(会議や学校との交渉、リハーサルや下見など)

 

忘れてしまっているだけで 他にもあるだろうと思います。

これらにプラスして、自分の子どもの進級なども当然にあって、勉強道具の整理や買い足し、書類の提出、参観や家庭訪問などもあり。

また、仕事の決算もあったので、相当に大変な想いをしました(笑)

 

あちらこちらに首を突っ込んでいるので、いつも みんなに 本当に仕事してるのか(してるわけないよね〜)と思われているようだけど、残念ながら仕事もしています。ただ、自分のペースで出来る仕事しかしていないので、何とかなっているだけで。

 

会社の決算に関わる経理の仕事はうちの会社で私しかする者がいません。そんなに大きな会社でもないので、今のところ仕事自体がそんなに大変ということもなく。人を雇うほどの仕事量でもない。だから自分でしなくてはいけない。それだけの話で。税理士の先生に、後はよろしくお願いしますと渡した所で一年間の一区切り。ちょうど一区切りついた所で振り返る余裕が出てきました(笑)

 

要するに、私は基本的には「時間の自由がとりやすい人間」なんです。

だから色んなことができています。

家の中では基本的な自由度が高いということに経営者の夫に感謝する立場です。

 

そんな理由で、私の所に色んな仕事が回ってくるし、自分からも進んで首を突っ込んでいける。決して能力があるからとか、すごい人間だから というわけではなくて。そういうことではなくて、ただ単純に「ゆとりがあるから」出来ているばかりだったりするだけで。

 

それでも、基本的に自由度の高い人間の筈が、こんなに色んなことをしていると、それらのことにより自由とは無縁の生活をすることになります。今や雁字搦めで。苦しいのです。こういうのを自業自得というのです(笑)

 

だけども、そもそも「絶対にしなくてはいけないこと」ということは、今の所は会社の仕事と子育てと家事くらいで、後のことは期間限定だったり、ライフワークだったり。やめようと思えばいつでもやめられることで義務ではないわけで。だから、まあまあ気楽でいられます。こんなに動けば身体がしんどい時はあるけれど。

 

それで何が言いたいかっていうと、

どんなにハードワークでも、気楽で心にゆとりがあるのは、精神的な自由を得ているからだということ。

 

そして、たぶん、それだけでもない。

沢山のことをこなしているのは切替力と集中力。

これが若干関係しているのだろうと思われます。

 

私という人間は、その昔、歩く瞑想により無我の境地を体得しました。

自分が何故小学生の時にそんな遊び(歩く瞑想)を始めたのかは まだ解明出来ていないけど、そこから人間の無我性について気付きを得ることができました。

 

自分を苦しめるのは自分であり、他の誰でもないということ。一見苦しいかのような出来事でも自分さえそれを意識しなければそこに苦しみは存在しない。苦しむ自分を見い出してしまうから苦しいのであって、本来そこには何もない。そしてまた自分を苦しみの泥沼(身口意)に陥れている鎖(業)から救い出せるのも自分の(整った)身口意でしかないわけで。そうなればこそ、そう出来るからこその1人1人が天上天下唯我独尊の私なのです。これこそが自由なのです。

 

このように瞑想により刷り込まれてくる観の目と合わせて、そのことに集中する力も同時に培われてきます。「即」というやつ。色即是空、空即是色の即です。

 

心と身体を絶えず観察していると、非常にコロコロと変わり移っていくことがわかります。そしてそれらを一々感情には入れず、ただただ追いかけていく。そういう修行(瞑想)です。

 

これらのことにより、一々刻々と変わっていく事象に揺り動かされたりせずに、淡々と対応するということが出来るようになります。物事から物事への切り替え力が養われます。どんなことも一々引きずらない。そういう力です。

 

そして一つのことをしている間の、それに対する即ち集中力。余計なことは考えずに、そのことに集中して取り組むことが出来る力も自然と身につきます。

 

瞑想で得られるこの2つの力があれば、生死のこと以外の大体のことは何とかなるものだったりするのではないかと思います。生き難さを感じている人にには、生きやすくなること請け合いです。