新学期
中3次女、今日から新学期が始まりました。
夏休みの間お休みしていたブログですが、またぼちぼちと書いていきたいと思います。
中3次女は、この夏の間に、吹奏楽部のコンクールがありました。
最後のコンクール。結果はみごとに?銅賞でした。
吹奏楽のコンクールは、金銀銅の3種の結果しかありません。
金賞だと上の大会に上がれます。銀賞だとまあまあ頑張ったかな、というところ。
ということは・・・です。
最後のコンクールで結果を出せなかったことは悔しそうでしたが、審査員の先生からは、娘のソロパートに対してお褒めの言葉をいただいたようで、嬉しそうな一面もありました。
部の引退は9月の体育祭と決まっているので、まだもう少し先の話になります。
昨日は高校の体験入部に行ってきた娘。
その高校に入りたいと決意を固めたようです。
お目当ての部はダンス部です。
買った楽器がもったいないのも さることながら
何より、審査員の先生にも顧問の先生方にもお褒めいただいている、彼女の音楽の技術的な面や音楽的な感性が もったいないな~と
煮え切らないのは親ばかりで、本人はケロっとしたもので。
元々、音楽をしながらダンスもしていた彼女なので、ダンスをしてみたいという気持ちが膨らんできているのも無理はないようにも思います。
どの道を選んだとしても 後悔のないように 懸命にベストを目指してもらいたいものです。
お弁当
夏1番バッターの大きな行事、青少年活動のキャンプを無事に終えました。
夏休みの間中、仕事も夏期休暇を勝手に(笑)取らせていただいている私。
ここへ来て少しゆっくりしています。
キャンプは怒涛の3日間。私は装備が甘いのか、よくアブだかブヨだかに刺されてしまいます。
今回もまた3ヶ所を食い破られてしまいました。
虫よけスプレーもしっかりとしているのに、子ども達を差し置いて、何故だかいつも私の周りをブンブンブンと威嚇的な飛び方をする彼ら。
子ども達には「リーダーのこと好きなんちゃうん〜」などと言われたり 言われなかったり。
それで子ども達に害がないのなら本望ですが。
子ども達が食われていないかが、心配です。
少なくとも一緒に行った三女は食われていなかったため、ホっとしていますが。きっと食われてしまった子もいただろうと思います。
やっぱり野外での生活は厳しいですね。
それを思い知ることが出来るだけでも、かけがえのない原体験だなあと思います。
さて。ゆっくりと引き換えに?二女のお弁当作りが始まりました。
キャンプは夫とお留守番で、お勉強ではなく部活に励んだ受験生です(笑)
吹奏楽部のコンクールを目前に、毎日部活に勤しむ彼女。午後からは塾があるため、ギリギリまで部活に参加出来るよう、お弁当を持たせています。
家が近いので、普段は家に帰ってきて食べたりすることが多いのですが。
後方支援のアピールのためにも(笑)お弁当を持たせることにしました。
効果があるかないかは別として、こちらも出来ることの手間暇を惜しむことなく、後悔のないように寄り添いたいと思います。
あー夏休み〜
あっという間に迎えた夏休み。
廃人的な生活を送るはずだった7月は何てことなく仕事と役割に追われていっぱいいっぱいでした。
そんなこんなであっと言う間の1学期の総括=個人懇談。
わが家の中3女子の成績はと言えば、そこそこだった中間テストを大幅に下回り、大変なことになっていました。
親の目が行き届かないと、覿面にダメダメなわが子ですが。
担任の先生には、高校へ入ってからのことを考えると、自分でしっかりしないと。と、鋭いツッコミをいただきました。
いやはや。仰る通りで。
親というのはどうもこうも少しでも何とか盛ってやろうとする生き物のようで。
でもそれは子のためにはなってないんですよね〜
わかっちゃいるけど。
担任の先生に、このままだと志望校は難しいと言われて 幾分か目が覚めたようです。
やる気スイッチがいつまでオンの状態かはわかりませんが、今後も後方支援の見守りに徹していきたいと思います。
自由と切替力と集中力
7月に入りました。
3〜6月の4カ月間を振り返って。
沢山のことがありました。
・青少年活動の発表会(台本作成や練習、本番)
・青少年活動の春キャンプ(会計や活動の1年間の総括作業)
・PTAの新体制への移行や引継ぎ(役員選出、新旧役員会、新旧運営委員会、総会など)
・青少年活動の新体制への移行(総会や式典、会議など)
・防災活動の新体制への移行(懇親会や勉強会)
・PTA活動での見守り活動(3〜5月の3カ月間)
・青少年活動での70周年記念式典(事前練習への参加や広報部員としての写真撮影、記念誌の作成など)
・青少年活動での訓練キャンプ(しおりの作成やプログラムの考案、実施など)
・青少年活動での市の後援の防災行事(会議と対外対応)
・PTAによる学校祭の開催(全4回の会議と反省会)
・自然団体による学校での授業開催(会議や学校との交渉、リハーサルや下見など)
忘れてしまっているだけで 他にもあるだろうと思います。
これらにプラスして、自分の子どもの進級なども当然にあって、勉強道具の整理や買い足し、書類の提出、参観や家庭訪問などもあり。
また、仕事の決算もあったので、相当に大変な想いをしました(笑)
あちらこちらに首を突っ込んでいるので、いつも みんなに 本当に仕事してるのか(してるわけないよね〜)と思われているようだけど、残念ながら仕事もしています。ただ、自分のペースで出来る仕事しかしていないので、何とかなっているだけで。
会社の決算に関わる経理の仕事はうちの会社で私しかする者がいません。そんなに大きな会社でもないので、今のところ仕事自体がそんなに大変ということもなく。人を雇うほどの仕事量でもない。だから自分でしなくてはいけない。それだけの話で。税理士の先生に、後はよろしくお願いしますと渡した所で一年間の一区切り。ちょうど一区切りついた所で振り返る余裕が出てきました(笑)
要するに、私は基本的には「時間の自由がとりやすい人間」なんです。
だから色んなことができています。
家の中では基本的な自由度が高いということに経営者の夫に感謝する立場です。
そんな理由で、私の所に色んな仕事が回ってくるし、自分からも進んで首を突っ込んでいける。決して能力があるからとか、すごい人間だから というわけではなくて。そういうことではなくて、ただ単純に「ゆとりがあるから」出来ているばかりだったりするだけで。
それでも、基本的に自由度の高い人間の筈が、こんなに色んなことをしていると、それらのことにより自由とは無縁の生活をすることになります。今や雁字搦めで。苦しいのです。こういうのを自業自得というのです(笑)
だけども、そもそも「絶対にしなくてはいけないこと」ということは、今の所は会社の仕事と子育てと家事くらいで、後のことは期間限定だったり、ライフワークだったり。やめようと思えばいつでもやめられることで義務ではないわけで。だから、まあまあ気楽でいられます。こんなに動けば身体がしんどい時はあるけれど。
それで何が言いたいかっていうと、
どんなにハードワークでも、気楽で心にゆとりがあるのは、精神的な自由を得ているからだということ。
そして、たぶん、それだけでもない。
沢山のことをこなしているのは切替力と集中力。
これが若干関係しているのだろうと思われます。
私という人間は、その昔、歩く瞑想により無我の境地を体得しました。
自分が何故小学生の時にそんな遊び(歩く瞑想)を始めたのかは まだ解明出来ていないけど、そこから人間の無我性について気付きを得ることができました。
自分を苦しめるのは自分であり、他の誰でもないということ。一見苦しいかのような出来事でも自分さえそれを意識しなければそこに苦しみは存在しない。苦しむ自分を見い出してしまうから苦しいのであって、本来そこには何もない。そしてまた自分を苦しみの泥沼(身口意)に陥れている鎖(業)から救い出せるのも自分の(整った)身口意でしかないわけで。そうなればこそ、そう出来るからこその1人1人が天上天下唯我独尊の私なのです。これこそが自由なのです。
このように瞑想により刷り込まれてくる観の目と合わせて、そのことに集中する力も同時に培われてきます。「即」というやつ。色即是空、空即是色の即です。
心と身体を絶えず観察していると、非常にコロコロと変わり移っていくことがわかります。そしてそれらを一々感情には入れず、ただただ追いかけていく。そういう修行(瞑想)です。
これらのことにより、一々刻々と変わっていく事象に揺り動かされたりせずに、淡々と対応するということが出来るようになります。物事から物事への切り替え力が養われます。どんなことも一々引きずらない。そういう力です。
そして一つのことをしている間の、それに対する即ち集中力。余計なことは考えずに、そのことに集中して取り組むことが出来る力も自然と身につきます。
瞑想で得られるこの2つの力があれば、生死のこと以外の大体のことは何とかなるものだったりするのではないかと思います。生き難さを感じている人にには、生きやすくなること請け合いです。
環境教育事業
今日は、地域の自然を地域の子ども達に伝えるということを、地域の学校の授業の中で実施しました。
http://shinodakouku29.blogspot.jp/2017/06/36.html?m=1
かねてからの念願だった企画が今回の第一回の開催の形になって、有難いやら嬉しいやら。
現地案内人の一人として子ども達のお伴をし、拙いながらに地域の自然のことや今ここで自然公園を作っていることなど、精一杯伝えてきました。
今日の授業を受けた子ども達のうち、誰か一人でも将来の担い手になってくれたらいいなあ。なんてことを、願ってやみません。
授業について快く実施を検討して下さった校長先生はじめ、実施決定して下さった先生に感謝しています。
お世話になった皆様 ありがとうございました。
おかえり
修学旅行で沖縄に行っていた次女が帰ってきました✈️
一泊目は、なんと昨年家族旅行で泊まった名護のホテルと同じホテルでビックリしました。
語り部さんの話を聞いたり、ガマに行ったりと平和学習をしたようです。
二泊目は読谷村の民泊で、親切なおじいとおばあに良くしていただいたようで、お昼ご飯作りをお手伝いしたり、嘉手納基地に連れて行ってもらったりしたようです。オスプレイが飛んでいるのを見たそうです👀
他にもあちこち連れて行ってもらい、貝殻で可愛いシーサーを作らせてもらったりもしたようです。
何と言ってもこれまでじっくり話をしたことのないクラスのメンバーともじっくり話が出来たことが嬉しかったようです。
家を出る時に、冗談めかして「お母さんと会えなくて寂しいねやろ〜」と茶化すと、「全然っ❗️行ってきまーす」とサラっと出かけて行ったのを、嬉しいような寂しいような気持ちで見送りました。
まためでたく一回りも二回りも心の成長を遂げて帰ってきてくれました。
先生方やお世話になった皆様に感謝いたします。
今日は本当なら塾のある日。
さすがにお休みで良かったね〜
弱点
友人が先生をし始めたので 4月から月に2回、ヨガレッスンに通い始めました。
これまで何度かヨガのレッスンを受けたこともあり、ハマったのでDVDを買って、自宅で気が向いた時に挑戦してみたり。
そんなことをしていたのも何年か前までの話で。
今回また新たな気持ちでヨガを始めています。
久しぶりのヨガはちょっとしんどくて、痛気持ち良い。身体の中に溜まっていた老廃物が出て行って、新しい空気と入れ替わっていることを感じられます。
家で1人だとわからない ポーズのおかしさを、正しい形に指導していただけるのも先生がいることのありがたさだなあと感じます。
そして今更ながらに新しい気付き。
私という人間は、バランスがすごく悪いんだな(笑)という薄々気がついていた動かし難い事実。
立ち木のポーズがなかなか決まらず、さながら揺れ木のポーズ。あれれれ。
出来なさ過ぎて、悔しくて、家でこっそり挑戦してみたら、難なく出来る。
あれ???何でだろう…
見えてきたのは、股関節の弱さ。
バランスのポーズの前に股関節へ負荷がかかっていたのが、バランスを崩してしまう最大の理由だったようです。
というか、バランス自体、股関節も関係しているということ。
股関節が弱いことは、自負していたけれども…
幼少期に股関節脱臼斜頸という診断を受けています。
本来なら長方形であるはずの股関節の骨が三角形なので、支えられない形状ということ。
「このまま行くと将来歩けなくなります。」
回避するには、オペか、器具の装着をすすめられ、両親は器具の装着という方法を選びました。
生後半年から1歳半くらいまでのおよそ1年間、この状態での生活。
自由にならない下半身を上半身でカバーし、何をするにもこの足を引きずっての“ほふく前進”だったようで、当時両親が暮らしていたアパートの畳はボロボロになったそうです(笑)
おかげさまで、上半身だけが異常に発達したのが私。
と言っても、両親の適切な処置のおかげで、日常生活を送るには何ら支障のない状態に回復しています。
でも骨折などと同じで、本来通りにはいかないわけで、少し使い過ぎたりすると、痛みが出てきてしまいます。
スキーとか、スケートとか、下半身をメインに使うバランスが大切なスポーツなども基本的に苦手です。
歩くときや走るときも、脛より膝より何処よりもいつも股関節に響く体質です。
そうか、だからだったのか…
今更ながらに、自分の苦手としていることの理由が、そこから来ていたと知るなんて。思いもよらない副産物です。
今まで、自分がどんくさいから、出来ることと出来ないことがある
くらいにしか思っていなかったのだけど。
つながりに気がついたら、何だか愛おしくなってきた身体のこと。
これからはそのことを踏まえた上で、心身を挺していけるようになりたいと思います。
こんな気付きも先生が運んでくれたご縁なり。
感謝しています💟